に引っ返していった伝六を見送りながら、名人はそこの横路地の中に身を忍ばせて、様子やいかにと待ちうけました。
2
こがらし冷たい寒ながら、にかにかと日が照りだして、小春日といえば小春日のほどのよい七草びよりです。――待つほどに首尾よくいったとみえて、気早にもあの三宝の飾り橙《だいだい》までもこわきにしながら、おおいばりでその伝六が姿を見せました。
「どうやら、つじうらは上吉らしいな。珍しく気がきいているようだが、橙までも持ってきて、ホシの眼《がん》はついたかい」
「大つき大つき! あっしだっても、たまにゃてがらをするときだってあるんだ。いえ、なにね、こうなりゃもう締めあげるにしても何をするにしても、このなぞなぞの七つ橙が大慈大悲の玉手箱なんだからと思って、ご持参あそばしたんですよ。さっそくあの野郎をさそい出して、うまいことカマをかけたらね――」
「手もなくどろを吐いたか!」
「大吐きですよ。お番所勤めをしている者がばくちをやるといっちゃ聞こえがわるいが、そこはそれ、お釈迦《しゃか》さまのおっしゃるうそも方便というやつさアね。あの三下奴をちょいと向こうかどまで連れていってね、どうでえ、わけえの、おいらもさいころは大好きなんだ。おめえがべらべらっとひと口しゃべりゃ、だんなばくちのいいカモばかりそろっているたまりべやを教えてやるが、どこのだれから親分が頼まれたのか、ないしょにしゃべっちまいなよと、いろけたっぷりににおわしたらね。えっへへ――」
「しゃべったのかい」
「みんごとしゃべったからこそ、えっへへ、おてがらだというんですよ。じつあ、あの町奴め、さかさねこの伝兵衛《でんべえ》とかいう野郎でね。ねぐらがまた大笑いなことに、八丁堀とは目と鼻の日本橋|馬喰町《ばくろうちょう》の大根|河岸《がし》だとぬかしゃがるんだ。そこへ行きゃ、七つの駕籠かきどもが数珠《じゅず》つなぎになってころがっているはずだからね。野郎どもを締めあげりゃ、頼み手はいうまでもないこと、何もかもなぞなぞの正体がわかるというんですよ。どんなもんです。伝六様だっても、ときどきは味をやるんですよ」
「なるほど、味なてがらかもしれねえ。こうなりゃおまえさんまかせだ、橙を落とさねえようにして、はええところ伝兵衛とやらのねぐらへ案内してみな」
得たりや応とばかり、鼻高々として伝六が案内していったのは、話のその大根河岸なるさかさねこ伝兵衛のひと構えです。
「しッ。静かに! 静かに! 口を割らしてこのねぐらのありかを吐かしたな、おいらのてがらなんだ。これから先ゃ、伝六様がおおいばりなんだからね、そんなにとんとん足音をさせりゃ聞こえるじゃござんせんか。いずれ、数珠つなぎにしてこかし込んであるへやは、どこかうちの奥のほうにちげえねえからね、こっそりと庭先へ回ってみましょうよ」
じつにいい気な男でした。少しばかりのてがらに得々として、名人右門をしかりしかり、息をころして内庭へ回りながら、子分べやらしいひと間の障子をそっとのぞいてみると、なるほどいるのです。すべてでは十四人。その十四人の駕籠かきどもが、ひとり残らず厳重なさるぐつわをかまされて、高手小手にくくされながら、まるで芋虫のようにごろごろと投げ込まれてあるのでした。
「ちくしょうめッ。ねこ伝の野郎、ふてえまねをしやがったね。べらべらしゃべられちゃならねえというんで、さるぐつわをかましておいたにちげえねんだ。ね! だんな! いいでやしょうね? なにもあっしがだんなをそでにするってえわけじゃねえんだが、あの三下奴を抱きこんでどろを吐かせたからこそ、ぞうさなくネタが上がることにもなったんだからね。このてがらの半分は、伝六様もおすそ分けにあずかりてえんだ。野郎どもはあっしが締めあげますぜ」
「いいとも、やってみな」
ぱっとおどり入ったそのけはいを聞きつけたとみえて、ばらばらと奥のへやから駆けだしながら行く手をさえぎったのは、七、八人の子分どもです。
「ひょっとこみてえな野郎が来やがったなッ。どこのどやつだ! 名を名のれッ。どこから迷ってきやがったんだッ」
「なんだと! やい! ひょっとこみてえな野郎たアだれにいうんだッ。どなたさまにおっしゃるんだッ。つらで啖呵《たんか》をきるんじゃねえ! この十手が啖呵をおきりあそばすんだ。あれを見ろッ、あそこの格子窓《こうしまど》の向こうからのぞいていらっしゃるだんなの顔をみろッ。音に名だけえむっつり右門のだんなは、ああいうこくのあるお顔をしていらっしゃるんだッ。ひょっとこなぞとぬかしゃがって、気をつけろい! 一の子分の伝六様たアおいらだよ!」
「…………」
「…………」
十手も啖呵《たんか》もものをいったのではないが、われこそその一の子分と巻き舌でぱんぱんと名のったむっつり右門の名がきいたのです。ぎょっとしながら、町奴どもがたじたじとなってあとへ引いたのを、意気揚々として伝六がくくされているさるぐつわの面々のところへ近づくと、なかなかに味な締め方でした。
「情けに刃向こうやいばはねえといってな、武蔵《むさし》坊弁慶でせえも、ほろりとなりゃ形見に片そでを置いてくるんだ、伝六様はむだをいわねえ。な! ほら! このとおりさるぐつわをはずしてやらあ。知ってることはみんないいな」
「なんです? 何をいうんですかい」
「とぼけるねえ! 右門のだんなのせりふを請け売りするんじゃねえが、大手責めも十八番、からめ手責めも十八番、合わせて三十六番の責め手を持っていらっしゃるおいらだよ。すっぱりいやいいんだ。隠さずにすっぱり白状すりゃいいんだよ」
「わからねえおかただね。ぱんぱんと、ひとりでいいこころもちそうに啖呵《たんか》をおきりのようですが、いってえ何を白状するんですかい」
「決まってるんだッ。どこのどやつに頼まれて、こんなろくでもねえ飾り橙《だいだい》をぐるぐると駕籠《かご》なんぞに乗せて持ちまわったか、それを白状すりゃいいんだよ」
「こいつアおどろいた。変な言いがかりはつけっこなしにしてもらいましょうぜ。どこのどやつに頼まれたんだとおっしゃいましたが、気味のわるい橙運びをわっちとらに頼んだのは、ここのうちのねこ伝親分ですよ」
「なにッ。なんだと! やい! もういっぺんいってみろ! 何がなんだと!」
「いえとおっしゃりゃなんべんでもいいますがね。運べといって頼んだのは、まさにまさしくここの親分なんですよ。わっちとらも駕籠かき渡世の人足になって、こんなおかしなめに出会ったのははじめてなんだ。日本橋から須田町まで最初に運んでいったのは、このひとつなわにくくされているあっしたちふたりですがね。景気よく小判を一枚投げ出してむやみとただ運べといったんで、正月そうそういいかせぎだとばかり、欲得ずくでなんの気なしに須田町まで飛ばしていったら、あそこに受け駕籠が一丁待ち構えておって、橙を何こうに移したかと思うといっしょに、ぽかぽかとこちらの子分衆にたたきのめされたあげくの果てが、ここへしょっぴかれて、このざまなんですよ。七駕籠七組みの兄弟がみんなその伝なんだ。文句があるなら、ねこ伝親分を締めあげなせえよ」
「ウフフフ。アハハハ。ウフウフアハハハ……」
聞いて格子窓《こうしまど》の外からおかしくてたまらないといったように、いとも朗らかにうち笑ったのは名人右門です。
「わはは。ウフフ。伝あにい、あっさりとやられたな、どうせおめえのやるこった。ちっとおおできすぎると思っておったら、案の定これだよ。ウフフ。アハハハハ。くやしかろうが、さっきの三下奴にみんごとやられたね」
「ちぇッ。何がおかしいんですかい! 笑いごっちゃねえんだ。しゃくにさわるね。笑いごっちゃねえんですよ!――やい! 野郎ッ。野郎たち!」
事の案外な結果に、すっかり男を下げて、すっかり腹をたてたのは伝六でした。
「やい! 野郎どもッ、人足たち! まさかに今いったことはうそじゃあるめえな!」
「ばかばかしい。たたかれて、のめされて、さんざんなめに会ったものが、うそなんぞいってなんの足しになりますかよ! うそだったら、十四人みんながくくされちゃおりませんよ」
「ちくしょうめッ。くやしいね。あの三下奴め、ぬうとしたつらアしてやがって、一杯はめりゃがったんだ。べらぼうめ。さかさねこだか曲がりねこだかしらねえが、ねこ伝ふぜいになめられてたまるけえ。おんなじ身内だ、ここにいる子分どもを締め上げりゃ、頼み手がわかるにちげえねえから、ね! だんな! やっつけますぜ! だまされたと思やくやしいんだッ。荒療治でぎゅうとしめあげますぜ! やい! げじげじのかぶとむし! 前へ出ろッ」
腹だちまぎれに伝六がかみつこうとしたのを、
「ウフフ。よしな、よしな。荒療治は古手だよ。よしな、よしな――」
静かにうち笑って名人が押し止めると、いいようもよくおちつき払っていったことでした。
「袋があるんだ。知恵の実のざくざくはいった袋がな。荒療治荒責めはおいらの手じゃねえんだよ。七つの橙さえ手もとにありゃ、なんとかまた知恵袋の口が開かアね。ひとなでなでながら、ぴかぴかと眼《がん》をつけてやるから、気を直してついてきな」
「でも、くやしいね!」
「くやしかろうと思えばこそ、霊験あらたかなあごをなでてやるといってるんだ。もう用はねえ。十四人の人足たちゃなわじり切って、けえしてやんな。では、行くぜ。橙を落とすなよ。――身内のやつら、おやかましゅう」
すうと胸のすくような男まえです。悪あがきをせずに、なぞの橙を伝六にかかえさせながら、さっさと引き揚げていったところは、いわずと知れた八丁堀のお組屋敷でした。
しかも、帰りつくや同時です。ずらずらと目の前に七つのその橙を押し並べながら、そろりそろりとあごをなでなで、じろりと鋭い一瞥《いちべつ》をくれたかと見えるや、果然、知恵の袋の口があいたとみえて、さえまさった声がたちまちずばりと放たれました。
「七つともに、この橙はみな落ち残りだな!」
「え! なんですかい。おっかねえくれえだな。ぴかりとひと光りひかったかと思うと、もうそれだからね。なんのことですかい」
「この七つの橙は、みんな落ち残りだといってるんだよ」
「はあてね。妙なことをおっしゃいましたが、その落ち残りとかいうのは、なんのことですかい」
「少なくとも四年か五年、どの橙も落ちずに木に残っていたひね橙ばかりだといってるんだ。この臍《ほぞ》をみろ。一年成りの若実だったら、すんなりとしてもっと青々としておるが、臍がこのとおりしなびて節くれだっているのは、まさしく落ち残りの証拠だよ。ことによると――」
「ことによると、なんでござんす!」
「昔から橙は縁起かつぎのお飾りに使われている品だ。そのなかでも三年五年の落ち残りとなりゃ、ざらにある品じゃねえ。朝の七ツ刻《どき》から七つの駕籠に移し替えて、人目にかからぬよう持ち運んだとかぬかしておったが、数も七つ、刻も七ツ、駕籠も七つと気味のわりい七ずくめから察するに、どうやらこりゃただのいたずらじゃねえかもしれねえぜ。ましてや、持ちまわったところはご将軍さまのお住まいのお城のぐるりだ。凶か吉か何のおまじないか知らねえが、どっちにしてもただごとじゃねえぞ!」
「ちくしょうめッ。さあいけねえ! さあいけねえ! さあいけねえぞ! 容易ならんことになりゃがったね。さあいけねえぞ!」
ことごとくうろたえて、伝六がことごとくあわてだしたのは当然でした。
「気に入らねえんだ。食い物だけに、あっしゃ橙なんぞをおまじないにしたことがしゃくにさわるんですよ! なんでしょうな! え! ちょっと! なんのおまじないでしょうね!」
「…………」
「じれってえな! そんなに思わせぶりをしねえで、すぱっといやアいいんだ、すぱっとね、こんなものを七つの駕籠で七ツ刻《どき》から持ちまわりゃ、なんのおまじないになるんですかい。ね! ちょっと! え? だんな!」
「騒々しいやつだね。黙ってろ。なんのおまじないかわからねえからこそ、こうしてじっと考え込んでいるじゃねえか。気味
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