を長目にずいと落として差して、黙々さっそうとしながら出ていった方角がまたじつに右門流なのです。当然日本橋から先に探って須田町湯島下と、七つの捨て駕籠を順々に追いながら見調べていくだろうと思われたのに、ひんやりとえり首に冷たい朝風を縫いながら、すいすいとやっていったところは、意外や土橋ご門の方角なのでした。さればこそ、やかまし屋の、おこり上戸の伝六が、たちまちまたふぐのようにほおをふくらましたのは無理のないことです。
「やりきれねえな。これだから何年いっしょにいても、だんなにばかりは芯《しん》からは気が許せねえんだ。きげんのいいときゃ、やけに朗らかにしゃべるくせに、むっつりしだしたとなると、べっぴんがしなだれかかっても、からきし感じねえんだからな。ね! ちょっと! ちょっと! どこへ行くんですかよ。ひとりの野郎が乗り捨てたんだか、七人の野郎が乗り捨てたんだか知らねえが、すごろくにしたってもふり出しから始めなきゃ上がりにならねえんだ。ことに、だいいち――」
「うるさいよ」
「いいえ、うるさかねえんですよ! だんなは何を気どって、お黙りなすっていらっしゃるか知らねえが、あっしにゃだいいち、駕籠かきどもの行くえが気になってならねえんだ。ひょっとすると、ばっさりやって乗り逃げしたかもしれねえんだからね。それに、どこからあの駕籠が迷ってきたか、出どころの見当をつけるにしても日本橋へ行くのが事の先なんですよ。――ね! ちょっと!」
「…………」
「ちょっとてたら! だんな! 聞こえねえんですかい!」
「うるせえな。からめ手|詮議《せんぎ》は右門流十八番の自慢の手なんだ。はしごを上っていくんじゃあるめえし、一丁一丁ごていねいに調べなくとも、どうせしまいは土橋へ来ておちつくんだ、おちつくものなら、最終の一つをこのおいらのできのいい目玉でぴかぴかとのぞいてみりゃ、七駕籠ひとにらみにたちまちすっと溜飲《りゅういん》の下がるような眼《がん》がつくよ。ろくでもねえことをべちゃくちゃとやる暇があったら、晩のお総菜の才覚でもしておきな」
「いいえ、そりゃいたしますがね。来いとおっしゃりゃ、土橋へだろうと、石橋へだろうとついてもいくし、お総菜もたんまりとくふうする段じゃねえが、行ってみたところでしようがねえんだ。から駕籠がしょんぼりと品川のほうへ向いているきりで、人ひとり、人足一匹いるわけじゃねえんだからね。いねえものを、――おやッ。ちくしょうッ。おかしいぞ!」
やかましく鳴りなり土橋ご門までついてきた伝六が、とつぜん、そのとき、目をぱちくりとさせながら、驚きの声を張りあげました。
「ふざけていやがらあ。なんて気味のわるい駕籠だろうね。さっき見に来たときゃ、たしかに人っ子ひとりいなかったのに、変な虫けらが降ってきやがったんですよ。ね! ほら! あの駕籠がそうなんですが、いつのまにかあのとおり、おかしな野郎が三人、天から降ってきやがったんですよ」
指さした町の向こうをみると、いかさま品川の方向をのぞんでかきすえてある駕籠のそばに、いとも不審な風体の男が三人たたずんでいるのです。一見するに、中のひとりは親分、あとのふたりはその子分と思われる町奴《まちやっこ》ふうの三人なのでした。しかも、その三人が、じつにぼうぜんとして、まことにいいようもなくぼんやりとしながら、だれかを待ちでもするかのように、つくねんと駕籠のわきに立ちすくんでいるのです。
「ほほう。なるほど、妙なやつががんくびを並べているね。そろそろと本筋になってきたかな。疑うようだが、たしかにさっき来たときにゃ、あの連中もだれも人影は見えなかったのかい」
「いねえんですよ! いなかったんですよ! だからこそ、化け駕籠だといってるんだ。きのこにしたっても、そうぞうさなくにょきにょきとはえるわけじゃねんだからね。野郎ども、くせえですぜ」
「ウフフ、さてのう。蛇《じゃ》が出るか、へびが出るか、ともかくも、お駕籠拝見と出かけるかな」
おちついたものでした。のっそりと近寄って、三人の者たちには目もくれず、ばらりと駕籠のたれをはねあげて、なにげなくのぞくや同時に、
「あッ!」
とばかり、伝六はいうまでもないこと、さすがの名人右門もしたたか意外にうたれながら、驚きの声をあげました。なんとも不審、いかにも奇怪、から駕籠と思いきや、中にはじつに不思議な乗り手が黙然として乗っていたからです。といったからとて人ではない! ほどよく色づいた橙《だいだい》がちょうど七個、――さながらに捨て駕籠の七丁となんらかぶきみななぞのつながりでもあるかのように、かっきり七個の橙が、それもうやうやしく三宝の上に飾られて、ぽつねんと置かれてあるのです。――当然のごとくに、名人右門の眼がぎろりと鋭い底光りを放つと、いまだにぼうぜんとたたずみながら、まるできつねにでもつままれたように、黙々と考え沈んでいる町奴《まちやっこ》たちのところへ、じつに伝法な、だが、むしろぶきみなくらいに物静かな尋問の矢が向けられました。
「うすみっともねえつらしているじゃねえかよ。まるで、伸びたうどんみてえじゃねえか。近ごろそんなつらは、あんまり江戸ではやらねえぜ。え! おい、大将、まさかに、おまえさん、おいらがだれだか知らねえわけじゃあるめえね」
「…………」
「何をきょとんとした顔しているんだ。おいらがだれだか知らねえわけじゃあるめえねといってきいてるんだよ。え! おい! 奴《やっこ》の大将。この巻き羽織を見ただけでも、おめえたちにはちっと苦手の八丁堀衆《はっちょうぼりしゅう》ってえことがわかるはずだ。黙っているのは知らねえのかい」
「フフン」
ところが、おこったようにふり向くと、親分らしいのがフフンとあざわらいながら、ふらちなことにもひどくけんまくが荒いのです。
「巻き羽織がどうしたとおっしゃるんです! いいや、やにわと権柄ずくに、おかしなことをおっしゃいますが、あんたの名まえとやらをあっしが知らねえといったらどうなさるんです」
「ほほう、陰にこもって、からまったことをいうね。知らねえというなら知らねえでもさしつかえねえが、おいら、むだ手間取ることがおきらいなたちなんだからね、そういうことなら、すっぱり名のろうじゃねえか。むっつり[#「むっつり」に傍点]の右門ってえいうな、おいらのことだよ」
「…………!」
ぎょッとなりながら声も出ないほどにおどろいて、いまさらのようにしげしげと見直したのを、すかさずにやんわりと浴びせかけました。
「ウフフ、むっつりの右門ときいて目をぱちくりやったところをみると、おいらのあだ名もいくらか効能があるとみえるね。ききめがあるならあるで、なおさいわいだ。お互いこういうことははええがいいんだからね。隠さずに、なにもかもすっぱりいいな。詮議《せんぎ》に来たんだ。どういう了見から七ところも捨て駕籠をやって、お正月そうそうお公方《くぼう》さまのお住まい近くを騒がせやがったか、その詮議に来たんだからね。この駕籠の中にある七つのおかしな橙もまた、なんのまねだか白状すりゃいいんだ。え! おい! 大将。江戸っ子らしく、あっさりとどろを吐きなよ」
「…………」
「じれってえね。また黙り込んだところをみると、せっかく名のったむっつり右門の名まえもききめがねえというのかい。七味とうがらしにしたっても、おいらの名まえのようなききのいい薬味はねえはずだ。きかなきゃきくように、ぴりっとしたところを混ぜてやるぜ」
「ところが、なんと啖呵《たんか》をきられてもしかたがねえんですよ。やった本人のあっしにせえも、何がなんだかさっぱりわからねえんだからね。白状しようにも、どろを吐くにも、吐くどろがねえんです」
「へへえ。こいつアまた妙なことをいうね。じゃ、なにかい、捨て駕籠をした本人は、たしかにおまえにまちがいねえというんだね」
「そうなんです。いかにもあっしが人騒がせをやった当人なんですが、当人でありながらさっぱり見当がつかねえんですよ」
「控えろッ。やった当人でありながら、なんのためか知らぬという法があるものかッ、大手責めの十八番、からめ手責めも十八番、知らぬ存ぜぬとしらをきるなら、責め手も合わせて三十六番、どろを吐かせる手品はいくつもあるぞッ」
「いいえ、なんとおしかりになっても、お答えのしようがねえんですよ。さるおかたから頼まれまして、この変な七つの飾り橙《だいだい》を、七日の朝の七ツ刻《どき》から始めて、七つの駕籠に乗せ、だれにもわからぬよう見とがめられぬように、お城のぐるりをこの土橋ご門まで運んでくれろとのことでごぜえましたゆえ、気味のわるいお頼みだなとは思いましたが、日ごろごひいきのお屋敷でごぜえますから、いわれるとおりにいたしましたところ、どう考えてもいっこうにがてんがいかねえんでごぜえます。こっそりと向こうの横町にかくれておって、このおかしな橙を受け取ってくださるとのお約束のその頼み手が、待てど暮らせどいまだに姿を見ませんので、じつは、ご覧のとおり、先ほどからぼんやりと思案していたんですよ」
「その頼み手は、どこのだれだッ」
「それは、その――」
「それはその、がどうしたんだよ! 頼み手があるというなら、それを聞きゃ用が足りるんだッ。日ごろごひいきのそのお屋敷とやらは、どこのどやつだッ」
「そいつばかりゃ、せっかくながら――」
「いえねえというのかッ」
「あっしも男達《おとこだて》とか町奴《まちやっこ》とか人にかれこれいわれる江戸っ子、いうな、いいませぬと男に誓って頼まれたからにゃ、鉛の熱湯をつぎ込まれましても名は明かされませぬッ」
「な、な、なんだと! やい! ひょうろく玉!」
聞いて横から飾り十手を斜《しゃ》に構えながら、ここぞとばかりしゃきり出たのは、だれならぬおしゃべり屋の伝あにいです。
「な、な、何をぬかしゃがるんだッ。ふやけたつらアしやがって、江戸っ子がきいてあきれらあ! 品が違うんだッ、品がな! 熱湯つぎこまれてもいいませぬ、白状しませぬというつらは、そんなつらじゃねえや! おいらのようなこういう生きのいいお面が、正真正銘江戸っ子のお面なんだッ。のぼせたことをいわずと白状しろい! 吐きゃいいんだ! すっぱりどろを吐きなよ!」
「いいえ、申しませぬ! お気にさわったつらをしているかもしれませんが、このつらで引き受けたんじゃねえ、男と見込まれて頼まれたんだッ、割らぬといったら命にかけても口を割りませぬッ」
「ぬかしたなッ。ぬかさなきゃぬかせる手があるんだッ。ぴしりとこいつが飛んでいくぞッ」
あまり飛ばしがいもなさそうな十手を打ちふり打ちふり威嚇したのを、
「ウフフ。よしな、よしな。伝あにい、手はあるよ。右門流には打ち出の小づちがいくつもあるんだ。ちょっと用があるから、こっちへ来なよ」
なにごとか早くも思いついたとみえて、さわやかに微笑しながら、不意に伝六を五、六間向こうへいざなっていくと、三人の町奴《まちやっこ》たちをあごでさし示しつつ、そっとささやきました。
「あいつを見ろよ。ね、ほら、変な物をいじくっている野郎がいるよ。あれをよく見ろな」
「なんです? どれです? あいつとはどれですかい」
「子分だよ。あの左に立っている子分の野郎が、目をつりあげやがって、出したり入れたり手のひらの上でさいころをいじくっているじゃねえかよ。上役人のおいらがお出ましになっているのもかまわねえで、はばかりもなくコロいじりをしているぐあいじゃ、よくよくあの三下奴め、あれが好物にちげえねえんだ。好きなものにゃ目がねえというからな、おめえ、うまいことあいつを誘い出して、じょうずに何かコロのにおいでもかがせてから、それとなくどろを吐かしてみなよ」
「なるほど、打ち出の小づちにちげえねえや。目もはええが、あとからあとからと知恵がふんだんにわき出すからかなわねえね。ようがす。カマをかけてどろを吐かせる段になると、これがまたおいらのおはこなんだからね。ちょっくら吐かしてめえりますから、どこかその辺の小陰にかくれて、あごでもなでていなせえよ」
得意顔
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