相場がきまってるんだ。どうだい、あにい、それでも前うしろがねえのかい」
「ちげえねえ! あいかわらず知恵がこまけえね。だんなもことしでいくつにおなりだか知らねえが、いつまでたっても知恵にさびの浮いてこねえのは豪儀ですよ。そういえば、なるほどそのとおりなんだが、はてね? ええと、どっちへ向いていたっけな? ええと、待てよ。――いや、思い出しました、思い出しました。まさに判然と、いま思い出しましたよ。日本橋の駕籠はたしかに須田町のほうへ向いてましたぜ」
「須田町の駕籠は?」
「まさしく湯島のほうへ向いてましたよ」
「湯島のやつは?」
「水戸さまのお屋敷のほうに向いてやしたよ」
「水戸家の前の駕籠は?」
「牛込ご門のほうです」
「そこにあったやつは?」
「四ツ谷のほうに向いてましたよ」
「四ツ谷の駕籠は?」
「土橋のほうへ向いてるんです」
「土橋のは?」
「そいつが気に入らねえんだ。ついでのことに日本橋のほうへ向いてりゃいいものを、ちくしょうめ、何を勘ちげえしたか、品川から富士山のほうへ向いていやがるんですよ」
「ウフフ、そうかい。そうするてえと――」
「そうするてえと、どうしたというんですかい」
「たよりのねえやつだな。どうしたんですかいとはまた、なんてぼんやりしているんだよ。駕籠の向きをしちっくどく聞いてみたのは、ひとりだか七人だか知らねえが、七つの捨て駕籠の乗り手がどこから先に捨てはじめて、どこで捨て終わっているか、それを探ってみたんだ。けっきょく方角をたどっていったら、ぐるりと大きくお城を回って、どれも申し合わせたように土橋のほうへ向いているとすると、ふり出しは日本橋、上がりはすなわち土橋ご門と決まったよ。正月そうそう、どうやらおつりきなあなのようだ。したくしなッ」
「ちぇッ。たまらねえことになりやがったね。さあ、忙しいぞ! さあ、忙しいぞ! ちくしょうめ! うれしすぎて目がくらみゃがった。ええと、何から先にしたらいいのかな。駕籠《かご》ですかい! おひろいですかい! 雪駄《せった》ですかい! お羽織ですかい! ね! ちょっと! かなわねえな。やけに黙って、どこへ行くんですかよ。――ね! ちょっと! なんとかおっしゃいましよ!」
 だが、もう声はないのです。事ここにいたれば、じつにもうみごとなむっつり右門でした。源氏車の右門好みに例の巻き羽織。蝋色鞘《ろいろざや》を長目にずいと落として差して、黙々さっそうとしながら出ていった方角がまたじつに右門流なのです。当然日本橋から先に探って須田町湯島下と、七つの捨て駕籠を順々に追いながら見調べていくだろうと思われたのに、ひんやりとえり首に冷たい朝風を縫いながら、すいすいとやっていったところは、意外や土橋ご門の方角なのでした。さればこそ、やかまし屋の、おこり上戸の伝六が、たちまちまたふぐのようにほおをふくらましたのは無理のないことです。
「やりきれねえな。これだから何年いっしょにいても、だんなにばかりは芯《しん》からは気が許せねえんだ。きげんのいいときゃ、やけに朗らかにしゃべるくせに、むっつりしだしたとなると、べっぴんがしなだれかかっても、からきし感じねえんだからな。ね! ちょっと! ちょっと! どこへ行くんですかよ。ひとりの野郎が乗り捨てたんだか、七人の野郎が乗り捨てたんだか知らねえが、すごろくにしたってもふり出しから始めなきゃ上がりにならねえんだ。ことに、だいいち――」
「うるさいよ」
「いいえ、うるさかねえんですよ! だんなは何を気どって、お黙りなすっていらっしゃるか知らねえが、あっしにゃだいいち、駕籠かきどもの行くえが気になってならねえんだ。ひょっとすると、ばっさりやって乗り逃げしたかもしれねえんだからね。それに、どこからあの駕籠が迷ってきたか、出どころの見当をつけるにしても日本橋へ行くのが事の先なんですよ。――ね! ちょっと!」
「…………」
「ちょっとてたら! だんな! 聞こえねえんですかい!」
「うるせえな。からめ手|詮議《せんぎ》は右門流十八番の自慢の手なんだ。はしごを上っていくんじゃあるめえし、一丁一丁ごていねいに調べなくとも、どうせしまいは土橋へ来ておちつくんだ、おちつくものなら、最終の一つをこのおいらのできのいい目玉でぴかぴかとのぞいてみりゃ、七駕籠ひとにらみにたちまちすっと溜飲《りゅういん》の下がるような眼《がん》がつくよ。ろくでもねえことをべちゃくちゃとやる暇があったら、晩のお総菜の才覚でもしておきな」
「いいえ、そりゃいたしますがね。来いとおっしゃりゃ、土橋へだろうと、石橋へだろうとついてもいくし、お総菜もたんまりとくふうする段じゃねえが、行ってみたところでしようがねえんだ。から駕籠がしょんぼりと品川のほうへ向いているきりで、人ひとり、人足一匹いるわけじゃねえ
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング