ろいろおもてなしにあずかってかたじけない。些少《さしょう》でござりまするが、お灯明《とうみょう》料にご受納願いとうござる」
 包んで出したのはやまぶき色が三枚。ひと寝入りするにもそつのないところが名人です。懐中離さぬ忍びずきんにすっぽり面をかくしてお山を下ったのがちょうど九ツの鐘の打ち終わったときでした。と同時のごとく目にはいったものは、町々つじつじを堅めているものものしい捕方《とりかた》たちの黒い影です。
「はあてね、あば敬が何か細工したんでしょうかね」
 くるっと七三にからげて飛び出していったかと見えたが、ときどき伝六も存外とすばしっこく立ちまわることがあるとみえて、てがら顔に駆けもどってくると、事重大というようにぶちまけました。
「いけねえ! いけねえ! まごまごしちゃいられませんぜ。あそこのかどに張っていた雑兵《ぞうひょう》をうまいことおだてて聞き出したんだがね、あば敬大将はあの下手人をのどえぐり修業のつじ切りだとかなんだとかおっかねえ眼《がん》をつけてね、お番所詰めの小者からつじ役人にいたるまでありったけの捕《と》り方《かた》を狩り集めて、江戸じゅうの要所要所に捕《と》り網を張らしているというんですぜ。ね、ちょっと――かなわねえな。またむっつり虫が起きたんですかい。え? だんな。だいじょうぶですかい。よう、だんな。ようってたらよう、だんな!――」
「黙ってろ。おれのむっつり虫は、一匹いくらという高値《こうじき》なしろものなんだ。気味のわるいところをお目にかけてやるから、てめえのその二束三文のおしゃべり虫ゃ油で殺して、黙ってついてきな。これから先ひとことでも口をきいたら、今夜ばかりは容赦しねえんだ。草香流が飛んでいくぜ」
 しかってすいすいとはいっていったところは、いましがた山の青道心からきき出した、丑《うし》の刻参り隠れ祈りの場所の一つである湯島坂下三ツ又稲荷の境内です。――もとより、あたりは真のやみ。しんちんと鬼気胸に迫って、ぞおっとえり首までがあわだつばかり、そのぶきみな境内をものともしないで、名人はほこらの裏にぬけると、ぴたり身を社殿の陰に寄せながら、じっと息をひそめて、何者かを待ちだしました。――伝六も声はない。しゃべるなとしかられたのがきいたためではないらしく、どうやらあたりのぶきみさ、ものすごさにおしゃべり虫がちぢみ上がったとみえて、ごくりごくりとなまつばをのんだままでした。
 半刻《はんとき》……。
 四半刻……。
 やがてのことに迫ってきたのは、屋の棟《むね》も三寸下がるというその真夜中の丑満時です。ゴーンと一つ鳴った。つづいてゴーンと二つめが鳴った。三つ、四つ、五つ、六つ、最後の八つめが鳴ってしまえば、丑の時参りが精根を傾けてのろい祈ると伝えられている、そののろいの時が来るのです――伝六の両足がぶるぶると震えだしたけはいでした。
 しかし、名人は身じろぎもせずに、じっと鬼気漂うやみの中を見すくめたままでした。
 刻! 一刻!
 さらに一刻! 二刻! そうして四半刻――。だが、なんの音もしないのです。足音はさらなり、くぎの音も金づちの音も聞こえないのです。と知るや、不意に名人がかんからと笑いだすと、投げすてるようにいいました。
「わはははは、とうとう今夜は待ちぼけくったか」
「え? なんですと! ね、ちょっと、ちょっと。な、な、なんですかい」
 同時に、伝六が爆発するように音をあげたのは当然でした。
「人をおどすにもほどがあるじゃござんせんか。気味のわるいいたずらをするっちゃありゃしねえや。あっしゃ三年ばかり命がちぢまったんですよ。おもしろくもねえ、待ちぼけくったとは何がなんですかよ。何を酔狂に、こんなまねしたんですかよ」
「おこったってしようがねえじゃねえか。向こうさまのごつごうで待ちぼけくわされたんだから、おいらに文句をいったって知らねえよ。またあしたという晩があらあ。さっさと帰りな」
「なんですと! あしたとはなんですかよ。急いでお手当しなくちゃならねえあば敬相手の大仕事じゃござんせんか。またあしたの晩があらあとは何がなんですかよ。けえらねえんだ。あっしゃけえらねえんですよ。人を茶にするにもほどがあらあ。下手人のつら拝ましていただくまでは、どうあったってここを動かねえんですよ」
「うるせえ坊やだな。むっつり右門とあだ名のおいらが、こうとにらんでの伏せ網なんだ。それほどだだをこねるなら、いってやらあ。おめえは朝ほど手に入れたわら人形の裏の文字を覚えているかい」
「つがもねえ。急という字があって、その下に巳年《みどし》の男、二十一歳と書いてあったじゃござんせんか。それがいったいどうしたというんですかよ」
「どうもこうもしねえのよ、なぞはその急の字なんだ。おめえなんぞは知らねえに決まってるがね。ありゃ
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