んなかのひときわ太い幹のひと目にかからぬうしろ側に、寸分違わぬ真新しいわら人形が、ぶきみにくぎづけとなっているのです。しかも、裏側の文字までがそっくりなのでした。急という不思議な文字を同じように、一つ書いて、その下にやはり巳年の男、二十一歳と、なぞのごとくに書いてあるのです。おもむろにそれを懐中するや、不意も不意なら意外も意外、じつにすさまじい右門流の命令が飛びました。
「十手だッ。十手だッ。伝の字、十手の用意しろッ」
ひらり駕籠に乗ると、命じた先がまたさらにどうも容易ならぬ右門流でした。
「行く先ゃ忍《しのぶ》ガ岡《おか》の天海寺だ。急いでやりな」
今の寛永寺なのです、[#「今の寛永寺なのです。」の誤り?]東叡山《とうえいざん》寛永寺というただいまの勅号は、このときより少しくあとの慶安年中に賜わったものですから、当時は開山天海僧正の名をとって、俗に天海寺と呼びならしていた徳川|由緒《ゆいしょ》のその名刹《めいさつ》目ざして、さっと駕籠をあげさせました。
3
むろんのことに肝をつぶしたのは、わが親愛かぎりなき伝あにいです。およそめんくらったとみえて、ごくりごくりといたずらになまつばをのみながら、あのうるさいあにいがすっかり黙り込んで、目をさらのようにみはったきりでした。無理もない。僧正天海が将軍家お声がかりによって建立《こんりゅう》したその天海寺の中に、十手を必要とすべき下手人がいるとするなら、これはじつにゆゆしき一大事だったからです。
だが、名人はまことになんともいいようもなく物静かでした。三橋《みはし》のところで乗り物をすてながら、さっさと伽藍《がらん》わきの僧房へやって行くと、案内の請い方というものがまたなんともかともいいようもなく古風のうえに、いいようもなく大前でした。
「頼もう、頼もう」
「どうれ」
相手もまた古風に応じて、見るからに青やかな納所坊主がそこに手をついたのを見ながめると、ずばりといったことばが少しおかしいのです。
「ご覧のごとくに八丁堀の者じゃ。静かなへやがあらば拝借いたしたいが、いかがでござろうな」
「は……?」
「ご不審はごもっとも、この巻き羽織でご覧のごとく八丁堀者じゃ。仏道修行を思いたち、かく推参つかまつったが、うわさによれば当山は求道《ぐどう》熱心の者を喜んでお導きくださるとのお話じゃ。静かなへやがあらば暫時
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