露払いじゃあるめえし、用もねえのに、わざわざとあばたのところへなんぞ行くがものはねえじゃござんせんか」
「しようがねえな。だから、おれもおめえの顔を見るとものをいいたくなくなるんだ。わからなきゃ、このお差し紙をもう一度よくみろい。名あてがねえんだ。どこにも名あてがねえじゃねえか。おれひとりへのおいいつけなら、ちゃんとお名ざししてあるべきはずなのに、どこを見ても右門の右の字も見当たらねえのは、お奉行さまがこの騒動を大あな(事件)とおにらみなすって、いくらか人がましいあば敬とおれとのふたりに手配りさせようと、同じものを二通お書きなすった証拠だよ。現の証拠にゃ、さっきの小者があば敬の組屋敷のほうへ飛んでいったじゃねえか。ただの一度むだをいったことのねえおれなんだ。見てくりゃわかるんだから、はええところいってきなよ」
「なんでえ、そうでしたかい。それならそうと早くいやいいのに、道理でね、さっきの使いめ、いま一本お差し紙をわしづかみにしていましたよ。ちくしょうめッ、にわかとあごに油が乗ってきやがった。あば敬の親方とさや当てするたア、まったく久しぶりだね。そうと事が決まりゃ気合いが違うんだ、気合いがな。ほんとうに、どうするか覚えてろッ。――おやッ。いけねえ。いけねえ」
 急に日本晴れとなりながら、ばたばたと駆けだしていったかと見えたが、まもなく抜き足さし足でもどってくると、事重大とばかりに目を丸めながら、声を落としてささやきました。
「ね、いるんですよ。大将がうちの表にまごまごしておりますぜ」
「敬公か」
「ええ。ねこのように足音殺しながらやって来やがってね。表からそうっと、うちの様子をうかがっているんですよ。ね、ほら、あれがそうですよ。あのかきねのそばにいるのがそうですよ」
 からだを泳がしてのぞいてみると、なるほど、それこそはまさしく同僚あばたの敬四郎とその配下ふたりです。まことに久方ぶりの対面というのほかはない。だが、いつまでたってもこの心がけよろしからざる同僚は、依然としてその了見が直らないと見えて、ぴったりかきねのそばへ身を寄せながらしきりとこちらの様子をうかがっていたので、それと知るや、名人はさっそうとして立ち上がりざま、吐き出すようにいいました。
「うすみっともねえったらありゃしねえや。伝六あにいのおしゃべりと、あば敬だんなのあの根性は、刀|鍛冶《かじ》にでもかけ
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