。伝えたところが事実とするなら、だいいち正体のわからぬその幽霊水からしてが、はなはだぶきみ至極なのです。しかも、ぶきみなうえに、事はふたりの役者のうえにからまっているのです。はたして、江戸屋江戸五郎がやったかどうか?――三左衛門が世間に吹聴しているごとく、人気をさらわれた腹いせに、事実江戸屋がかかる水いたずらをやったものなら、事はさしたる問題でないが、実証もつかまず、その現場も押えずに、単なる疑いのみから、不用意にこれを下手人のごとく吹聴しているとするならば、江戸っ子中の江戸っ子をもって任ずる伝六親方が、とうていこれを許せるはずはないのです。ましてや、一の子分の伝六親方のこと、大いに油をそそぎかけたばかりか、だんながご出馬しないことにはといわぬばかりに持ちかけたので、わが愛すべき親方は、ことごとくいいこころ持ちになりながら、おつに気どってすっかり考え込みました。
「まて、まて、せくでない、せくでない、せいては事をしそんじる。とかく、こういうときは、あれだ、あれだ、右門のだんなをまねるわけじゃねえが、あごをなでると奇妙に知恵がわくものなんだ。大船に乗った気でいろ。いまにぱんぱんと眼《がん
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