愛孫が一生一度の契りごとにかかわる大事とすれば、おぼれる者のわらのように、必死とわが捕物《とりもの》名人にすがりついたのは無理のないことです。いや、無理がないといえば古島親子のおこったのも大いに無理がない。契りの片雛恋の思い雛が、いつのまにかにせもの偽物にすり替えられていたとすれば、いかさま生きた夫が知らぬまに寝返られ、すり替えられたのと同然だったからです。
「ちとこれは久方ぶりでなまめかしゅうなったかな――」
いうように、名人は目に微笑を浮かべながら、じろじろと問題の男雛を見ながめていましたが、まず事はそれから確かめるが第一と、至極静かにきき尋ねました。
「では、なんでござりまするな。こちらの雛をお飾りなさるときは、十二年このかた預かっている男雛に相違ないとお思いなすって、お飾りあそばしたのでござりまするな」
「ええ、もう相違ないどころか、形も同じ、着付けも同じ、しまったところも去年のままで、なにひとつ変わった個所も、疑わしいところもおじゃりませんなんだゆえ、娘もわたくしもこれがにせものであろうなぞとは夢にも知らずこうして飾りましたところ、古島のててごさまが不意にびっくりなさいまして、これは偽物じゃとおっしゃりましたゆえ、てまえどももぎょうてんしてお尋ねいたしましたら、何から何までほんものそっくりにまねて作ってはあるが、着付けの金襴《きんらん》の生地がまがいものじゃ、うちから預けた雛は二百年このかた伝わっている品で、一寸十両もする古金襴地のはずなのに、これは今できの安い京金襴じゃとおっしゃいましたゆえ、わたくしどもも生地を調べてみて、ようやくそれと知った始末でおじゃります」
こころみに取りあげて手に触れてみると、いかさまのりけたくさんの手ざわりからしてがよろしくない駄金襴《だきんらん》です。そのうえ、雛も重い。二百年このかたの古雛なら、もっと土も枯れて目方も軽くなければならないはずなのに、粘土が新しくてまだよくかわききっていないためか、案外なくらいに重いのです。
「ほほう。なるほど、おっしゃるとおり、近ごろでこしらえた新品のようでござりまするな。そういたしますると、すり替えられた真物というは、よほどのご名品でござりましたろうな」
「ええ、もう名品も名品も、内藤家の古島雛と評判されている逸品じゃそうにおじゃります」
「なるほど、さようでござりましたか。いや、それならばてまえも耳にしたことがござります。内藤家の古島雛に、小笠原大膳《おがさわらだいぜん》様の源氏雛、それに加賀百万石の光琳雛《こうりんびな》は、たしか天下三名宝のはず、してみると、十中八、九まず――」
「盗難じゃとおっしゃるのでおじゃりまするか」
「ではなかろうかと考えるのが事の順序かと存じます。これが世間にもざらにある安物の駄雛《だびな》でござりましたら、ねらってすり替えようという盗心も起こりますまいが、天下に指折り数えられるほどの名品とすれば、ほしくなるのが人情でござりまするからな。しかし、気になるのはお嬢さまの婚期でござりまするが、お約束のお輿入《こしい》れはいつごろのご予定なのでござります」
「十八の年の五月五日が来たら、という約定でおじゃりますゆえ、もう目前に迫っているのでおじゃります」
「なるほど、なかなかゆかしいお約束でござりまするな。女夫雛《めおとびな》を片雛ずつ分けて持って、女の節句に祭りかわし、五月五日の男の節句に、雛と人と二組みの女夫をめでたくこしらえ納めようというのでござりまするな。いや、いろいろと事の子細、納得が参りました。では、念のためでござりますゆえ、春菜様とやらおっしゃったそのお嬢さまにも、ちょっとお会わせさせていただきましょうかな」
「は、よろしゅうおじゃります、と申しあげたいのでござりまするが、それが、じつは……」
「いかがあそばされたのでござります」
「どうしたことやら、騒ぎが起きるといっしょに、どこかへ姿が消えたように、見えなくなったのでおじゃります」
「えッ――」
名人はおもわず声を放ちました。名宝なればこそ、まず十中八、九ただの盗難であろうと言いきったばかりのときに、意外や突如として、新しい疑問と新しい不審がわき上がったからです。
「ふうむ。ちとこれはまた少しこみ入ってまいりましたな。どのようなご様子で見えなくなったのでござります」
「古島様親子がご立腹なすっているさいちゅうに、なにやら悲しそうに顔色を変えて、ふらふらと奥庭のほうへ出てまいりましたゆえ、思いつめてなんぞまちがった考えでも起こしてはと、腰元の多根《たね》にすぐさま追いかけさせましたところ、もうどこへいったか見えなくなっていたそうなのでおじゃります。それゆえ、大騒ぎいたしまして、心当たりのところへは残らず人を飛ばし、くまなく捜させましておじゃりまするが、かいもく居どころがわかりませぬゆえ、それもついでにお捜し願おうと存じまして、あなたさまをお呼びたてしたのでおじゃります」
「容易ならぬことになりましたな。ようござります、なんとか力を傾けてお捜し申しましょう。では、お多根どのとやら申されるそのお腰元を、ここへちょっとお招きくだされませな」
「ところが、その多根もいつのまにやら、ふいっと消えてなくなったのでおじゃります」
「なんでござります! お腰元もいなくなりましたとな! ふふうむ! いよいよこれは事がむずかしくなりましたな。いなくなりましたのは、いつごろでござりました」
「手分けして春菜を捜しているさいちゅうに、多根がまたうち沈んだ様子で、同じようにふらふらと奥庭のほうへ出てまいりましたゆえ、若党にすぐさまあとを追わしましたところ、やはりもういなかったそうなのでおじゃります」
「お年はいくつぐらいでござりました」
「一つ下の十七でおじゃります」
「気だては……?」
「やさしゅうて、すなおで、かわゆらしゅうて、そのうえ主人思いの、なにひとつ非の打ちどころもない子でおじゃりますゆえ、春菜もいっそほんとうの妹にしたいと、口ぐせに申していたくらいでおじゃりました」
名人は聞き終わるとともに、じっと瞑目《めいもく》しながらうち考えたままでした。単純な事件と思われたのが俄然《がぜん》ここにいたって多岐《たき》多様、あとからあとからと予想外な新事実が降ってわいたからです。春菜の行くえ知れずになったのも不審なら、あいついで腰元お多根の姿が消えたのもすこぶる不審でした。
ふたりはしめし合わせて姿を消したのであるか? それとも、別々の理由からいなくなったか? あるいはだれか背後に糸を引く者でもあったか? もしくは、ふたりともさらわれていったか?
いずれにしても、もちろん、雛そのものにふたりのいなくなった原因があるに相違ないのです。しかも、原因のその雛がまた尋常一様の雛人形ではないのだ。因縁の雛、恋の思い雛、行く末かけてと七つの年から誓い祭り飾りつづけた契りのしるしの片雛であるうえに、あまつさえすり替えられた真物は、天下三宝の一つと名を取ったゆゆしき名品なのです――。これでは考えざるをえない。考えまいとしても考え込まざるをえない。どこから知恵のふたをあけて、この容易ならざるなぞを解いていったらいいか? 黙々沈々、石のごとく冷静に、おしのごとくおし黙りながら、長い間まなこをとじて考えつづけていましたが、そろり、そろりとあの手があのあごのあたりへ散歩を始めたかと思われたせつな! なぞを解くべき銀のかぎが見つかったとみえて、美しく静かな微笑がのぼると、いともたのもしいことばが漏れました。
「なに、それほども心配したことはござりますまいよ。しばらくこのにせものの雛をご拝借願いましょうかな。では、またのちほど――」
こわきにするや、すうと表へ。――表がまた憎らしいくらいな桃びよりです。見るもの、きくもの、うらうらとうららかににおやかな春でした……。
2
だから、伝六がことごとくもうぽうッとなって、待っていましたといわぬばかりに、たちまち千鳴り太鼓を鳴らしはじめたのはあたりまえです。
「たまらねえな。まったくどうもたまらねえな。内藤小町に思い雛とかけてなんと解く、とはどんなもんですかい。それにつけても、おべっぴんさまさまだ。ときどきはこういうのに出会わねえと、ぜんそくが起きるからね。ちくしょうめ、桜の花びらまでがのぼせやがって、ひらひらと浮かれていやがらあ。べっぴんって名をきくてえと、これがまたじっさい妙なものでね――」
「…………」
「ちぇッ。なにも急にそんなに気どらなくたってもいいじゃござんせんか。やけにうれしくなったんだから、いっしょにほがらかになっておくんなさいよ。今も申したとおり、これがまたじっさい妙なものでね。同じ女の子の話でも、べっぴんでねえと気が乗らねえんだ。ぜんそくにべっぴん、のぼせ引き下げにはとうがらしといってね、ときどき持薬にしねえと、胸のつかえがおりねえんですよ。だから、ねえ、だんな!」
「…………」
「やりきれねえな。なんだってまた、きょうはやけにそうむっつりとしているんです? 七つのときから十二年このかた、男雛をかわいがってきたべっぴんなんて、思っただけでもべっぴんべっぴんしているじゃござんせんか。それにまたいっしょにいなくなったお腰元が、しとやかで、すなおで、かわいらしくて、あっしのように主人思いだというんだから、――だんなは小町、あたしは腰元、はええところパンパンとふたりの居どころを突きとめて、けえりに四人して夜桜見物とでもしゃれたら、豪儀に似合いの女夫雛《めおとびな》と思うんですがね。どうですね、いけませんかね」
「…………」
「おや?」
「…………」
「はてな……?」
面くらったのも当然です。何をいってもむっつりとおし黙りながら、しきりと足を早めていましたが、おりよく通りかかったもどり駕籠《かご》を見つけると、
「人形町じゃ。急いでやりな」
命じて、だいじそうに雛を小わきにしながら、ゆうぜんと腰をおろしたので、朗らかに鳴りつづけていた伝六太鼓の調子が急に乱れました。
「ちょっと! ちょっと! 何をのぼせているんですかよ。雛は飾り物、人間は生身の生き物じゃござんせんか。雛の詮議《せんぎ》に行くんだったら、三日や四日おくれたって人形町がなくなるわけじゃねえんだから、べっぴんどものほうを先になんとか目鼻つけておくんなさいよ。生身に虫がついたら、ひとのものでも気がめいるじゃござんせんか!」
「…………」
「ねえ、ちょいと!」
「…………」
「じれってえな! 目色を変えて、何を急ぐんです? 雛の出どころ詮議《せんぎ》だったら、人形町は逃げも隠れもしやしねえといってるんだ。ねえ、ちょいと! お待ちなさいよ!」
しかし、名人は沈々黙々。頑強《がんきょう》におし黙って駕籠を急がせながら、やがて乗りつけたところはその人形町名どころの十軒店《じゅっけんだな》です。――むろん、十軒店はここをせんどと雛人形を飾りつけ、見に来た者、買いに来た者、おひやかし、ぞめき客、通りから横町までずっと人の顔の波でした。
「許せよ」
その最初の一軒へ、声も鷹揚《おうよう》にずかずかはいっていくと、居合わせた若い番頭の目の前へ、黙ってぬうとさしつけたのは、こわきにしていた問題の偽物雛です。
「これが何か……?」
「扱った覚えがあるかないかときいているのじゃ」
「さてな……? てまえどもの店で商った品かどうかはわかりませんが、たしかにこれは古島雛のまがい雛ですね」
ちらりと一瞥《いちべつ》するや同時に、なんらのためらいもなく番頭が、一言に古島雛のまがいとホシをさしたものでしたから、当然のごとく名人のことばがさえました。
「だいぶ詳しいようじゃが、どうしてこれを古島雛の偽物と存じておるか!」
「どうもこうもござりませぬ。あのとおり、あそこにもたくさんございますゆえ、ごろうじなさりませ」
指さされた店の飾り段を見ながめると、こはそもなんと不思議! 同じそのまがい雛が十体ほどもあるのです。しかも、男雛《おびな》ばかりか、女雛《めびな》もそろっているう
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