のあのいもづらを見るてえと、むしずが走ってカンカンとくるから、われしらず逆上しちまうんですよ。畜生めッ、さあ、おもしろくなったぞッ。じゃ、風に乗っていってめえりますから、すぐお出ましできるように、おしたくしておいておくんなせえよ」
胸のつかえが通じてしまったとならば韋駄天《いだてん》走り――。
2
当人のことばどおり、風のように走っていって、風のように駆け帰ってくると、果然、名人の予言は当たりました。
「ホシだッ、ホシだッ。お番所はどえれえ騒ぎですぜ」
「お年賀登城のお大名がたにでも何かまちがいがあったのかい」
「ところが大違い。本郷のね、妻恋坂で人が殺されたっていうんですよ」
「また人殺しか。あんまりぞっとしねえな」
「とおっしゃるだろうと覚悟してめえりましたが、詳しく聞くと、なかなかこれがぞっとする話なんだから、まあお聞きなせえまし。訴えてきたのは妻恋坂の町名主だっていうんですがね、殺されている相手が考えてもかええそうじゃござんせんか。十と、八つと、六つの子どもだっていうんですよ」
「なに! 子どもばかり三人やられているとな! ふうむな。いかさま、ちっとよろしくないな」
「でしょう。だから、話はおしまいまでお聞きなせえましといってるんですよ。シナの孔子様もおっしゃったんだ。常人の狂えるは憎むべからず、帝王にして心狂えるは憎むべしとね」
「なんだい。いきなり漢語を使って、それはなんだい」
「いいえ、こないだ辰《たつ》のふた七日《なのか》の日にね、あんまり気がめいってならねえから、通りの釈場にいったら講釈師がいったんですよ。あたりめえの人間の気違いはかええそうだが、王さまで気の触れているのは何をしでかすかわからねえから、あぶなくてしようがねえんだ、とこういうわけあいなんだそうながね、なかなかうめえことをいうじゃござんせんか。つまり、その心狂えるっていうやつが、殺された子どものそばにいるっていうんですがね」
「キの字か」
「そうそう、そのキの字なんだ、キ印なんだ。それも、二十三、四のうらわけえ気違いがね、殺された子どものそばに、にやにや笑いながら血のついた出刃包丁をさか手に握って、しょんぼりと張り番をしているっていうんですよ。だから、殺した下手人はてっきりもうそれにちげえねえが、それにしても子どもの親っていうのがだれだかわからねえと、こういうんですがね。どう考えてみても、男の気違いが子どもを産むはずはなし、よしんば産んだにしても、二十三、四のわけえ野郎に十をかしらの子どもが三人もある道理はねえんだから、そりゃこそ大事件だとこういうことになって、おらがだんなはお出ましにならねえし、だれにしよう、かれにしようと、人選みをしたあげくがくやしいじゃござんせんか。あばたの大将にそのおはちが回っていったと、こういうんですよ」
いかさま、松の内そうそうに容易ならぬ怪事件です。しからば一つ、――大きくいって、ずっしりとあの蝋色鞘《ろいろざや》を落とし差しにしながら、すぐにも立ち上がるだろうと思われたのに、だが、名人は事の子細を聞き終わると、何を考えたものか、フフン、――というように微笑しながら、そのままごろりと横になってしまったものでしたから、鳴り屋の千鳴り太鼓がすさまじい音をあげてがみがみと鳴りだしました。
「ちぇッ。何がお気に入らねえんですかい! 人がせっかくこの寒い中を汗水たらしてかぎ出しにいってきたのに、フフンはねえでやしょう! どこがお気に入らねえんです! この伝六のどこがお気にさわったんです!」
「…………」
「そりゃね、あっしがきいたふうな漢語なんぞ使うのはがらにねえですよ。ええ、ええ、そうです。そうですよ。どうせ伝六は無学文盲なんだからね、さぞかしお気にもさわったでござんしょうが、しかし、ありゃ講釈師がいったんだ。常人の狂えるは憎むべからず、帝王の心狂えるは憎むべしとね。だんなだってそう思うでしょう。この伝六やあばたの敬大将が気違いになってるぶんなら驚きゃしますまいが、松平のお殿さまやお将軍家が気違いになったと思ってごらんなせえまし、右門、前へ出ろ、そのほうはむっつりといたして気に食わんやつじゃ、手討ちにいたすぞ、としかられたってしようがねえじゃござんせんか。だから、それをいうんだ。大きにもっともだと、それをいっただけなのに、フフンとはなんです!」
「…………」
「ね! フフンとはなんですかよ! しかもだ、並みの人間が殺されたんじゃねえ、かわいい子どもが三人も手にかかってるんだというんですよ。おまけに、あばたの大将がわざわざいやがらせをいいに来ているんじゃねえですか! 何が気に入らねえんです! 伝六の話のどこがお気に召さねえんです!」
しかし、名人がいったんこうしてごろりと横になりながら、ひとたびその手があ
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