ら、ねずみがとれるんですかねえ。え……? だんな! とれるんですかね」
「うるさいッ。だれか庭先に来たじゃねえか」
なるほど、ちらりと縁側の向こうに人影がさしたので、なにげなく障子をあけて、ひょいと見ると、これがただ者ではない、まことに久方ぶりでのお目みえですが、同僚のあのあばたの敬四郎です。声もかけずに、無断で人の庭先までも押し入るとは、ふらちなやつと思いましたが、同役同僚とはいうものの、とにもかくにも先輩でしたから、何ご用かと名人みずから立ち上がって縁側まで出迎えると、こやつ、よくよく生まれながらのかたき役でした。顔じゅういっぱいのあばたを気味わるくゆがめて、意地わるそうにせせら笑いながら、いきなりいいました。
「捕物《とりもの》名人とやらいうおかたは、お違い申すな」
「なんでござります」
「お偉くなると、お心がけも変わるとみえるよ。正月の二日《ふつか》といえば、上役同僚おしなべて年始に参るが儀礼じゃ、縁もゆかりもない手下の小奴《こやっこ》がくたばったぐらいで、服喪中につき、年賀欠礼仕候と納まり返っているは、さすがに違ったものじゃというのさ」
じつにいやみたっぷりな言い方でした。それとはっきりはいわなかったが、つまりは先輩のおれのところへ、なぜ年始に来ぬかという遠まわしの詰問なのです。だが、名人の返事がまたたまらない。皮肉というよりも、じつにあざやかな揶揄《やゆ》でした。
「では、貴殿のところへだけ参ってごきげん取り結ぶために、ひとつおせじを使いますかな。お追従《ついしょう》を申しておくと、これからさき憎まれますまいからな」
「憎まれますまいからとはなんじゃい。身どもがこうして参ったは、憎まれ口ききに来たのではないわ。さぞかしうらやましゅうなるだろうと思うて参ったのじゃ。人が年始回りをするときはな、人並みのことをしておくものでござるぞ。お奉行さまのところへ年賀に参ったればこそ、この敬四郎も年初めそうそう大役を仰せつかったわ。どうじゃ、くやしいか」
奥歯に物のはさまったようなことばを残しながら、すうと立ち去っていった姿を見ながめて、ことごとくあわてだしたのは伝六です。
「さあ、いけねえ。さあ、いけねえ。お奉行さまもお奉行さまじゃござんせんか。年初めそうそう大役を仰せつかったっていうなア、きっとあばたの野郎め、与力か、同心主席に出世しやがったにちげえござんせんぜ。でなきゃ、用もねえのに、わざわざあんないやがらせを吹聴《ふいちょう》に来るはずはねえんだ。人を見そこなうにもほどがあるじゃござんせんか。むっつりの右門というおらがのだんながおいでましますのに、あばたの大将を出世させるとはなにごとですかい。べらぼうめ! お奉行になんぞ掛け合ったってらちのあくはずはねえんだから、伊豆守《いずのかみ》のお殿さまへじかに掛け合いにめえりましょうよ! ね! だんな、めえりましょうよ! 行きましょうよ!」
「…………」
「いやんなっちまうな。何をにやにや笑っていらっしゃるんですかい。人もあろうに、あばたの大将なんかに出しぬかれてうれしいんですか! お奉行さまに目がねえんだ。松平のお殿さまなら、うん、そうか、よしよし、とおっしゃるにちげえねえんだから、直訴にめえりましょうよ! いいや、殿さままでがおらがのだんなをそでになさるんなら、この伝六が胸倉にくいついてやるんだ。――ちぇッ、やりきれねえな。にやにや笑って、何がおかしいんですかい!」
しかし、名人は何もいわずに、むっつりとしてあごをなでながら、ふいっと鳴り屋の目の前に、捕物にはなくてかなわぬ表道具の十手を黙ってつきつけたものでしたから、
「なんです?」
ぱちくりと目を丸めました。
「こんなものに、なんの御用があるんです※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
「しようがねえな。おめえの目はどっち向いていたんだ。あばたの先生が今どんな身なりをしてきたか、気がつかなかったのかい」
「バカにおしなさんな。あたりめえの人間がきる着物をきてきたじゃござんせんか! そいつのどこが不思議だとおっしゃるんです!」
「だから、雑煮でもうんといただいて、丹田に力でもはいるようにしておけというんだよ。おめえは大役仰せつかったといったせりふを聞いて、出世したろうの、松平のお殿さまへ食いつこうのと途方もねえことをいって騒いでいるが、お年始へいった帰りだけだったのなら、熨斗目裃《のしめかみしも》のご定服を着ているのがあたりめえなんだ。にもかかわらず、大将は巻き羽織で十手を腰にしていたじゃねえか。何かあな(事件)が降ってわいて、その大役仰せつけられたにちげえねえから、とち狂っていずと、ひとっ走りお番所へいってきな」
まことに、名人の目のつけどころ、その眼のさえはこわいくらいです。
「なんでえ! そうか! あばたの大将
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