右門捕物帖
妻恋坂の怪
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)二日《ふつか》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)善光寺|辰《たつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
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1
――その第二十一番てがらです。
事件の起きたのは、年を越して、それも松の内の二日《ふつか》。
「めでたさも中ぐらいなりおらが春」――というのが俳諧寺一茶《はいかいじいっさ》の句にありますが、中ぐらいでも、下の下の下々であっても、やりくり、七転八倒、夜逃げの名人であろうと、年が明けたとならばともかくもめでたいというよりいいようはない。ましてや、上の上の上々の大名諸侯が、言いようもなくめでたいのはあたりまえなことなので、だからこの二日の日がめでたすぎるそれらお歴々の、三百二十八大名全部が、将軍家へお年賀言上のために総登城する定例なのでした。
一国一城のあるじにしてすでにそうであるから、およそ官途《かんと》にある者のすべてが、下は上へ、上はそのまた上へと、一年一度の義理を果たしに出かけるのはさらに当然なことなので、すなわち伝六は右門のところへ、右門はお奉行《ぶぎょう》のところへ、――もちろん行くだろうと思ったのに行かないのです。縁ならぬ縁でしたが、目をかけた配下の善光寺|辰《たつ》が死んでみれば、まだ四十九日もたたないうちに、めでたいどころの騒ぎでない。
「服喪中につき、年賀欠礼|仕候《つかまつりそうろう》」
薄い墨で書いた一札を玄関前にぺたりと張りつけておいて、名人は郡内のこたつぶとんにぬくぬくとくるまりながら、もぞりもぞりとなでては探り、探ってはあごをなでて、朝からお組屋敷にとじこもったままでした。
はたから見ると、気になるくらいたいくつそうに見えるのに、当人はいっこうそれでたいくつしていないのですから、頭の中はいったい、どんなゼンマイ仕掛けになっているのか、少し気味がわるいくらいですが、しかし、名人はけっこうそれでいいにしても、納まらないのは伝六です。
「くやしいな……」
ゆくりなくもまた辰のことを思い出したとみえて、ほろりと鼻をつまらせると、初鳴りに鳴りはじめました。
「どう考えてもくやしいな。今さら愚痴をいったって、死んだものがけえるわけじゃねえが、なにもよりによって、おらがの辰を連れていかなくてもいいでしょう。まくらを並べて寝ていたらね、かわいいやつだったじゃござんせんか、なあおい兄貴、と、こんなにいってね、夜中にふいっとくつくつ笑いだしたものだから――」
「途方もねえこと、やにわにいいだすなッ」
「いいえ、いわしてください! いわしてください! 辰の思い出話は一生いいますぜ! いうんだ、いうんだ。いやア辰だって浮かばれるにちげえねえんだから、いくらしかられたって、こればかりゃいいますぜ! 造りもちまちまっとしてかわいらしかったが、きっぷも子どもみてえなやつだったですよ。まくらを並べて寝ていたらね、いきなりくつくつと笑いだしたものだから、何がおかしいんだといってやったら、いかにも辰らしいじゃござんせんか。寝床の上にふいっと起き上がってね、福助の頭はどうしてあんなにでけえだろうな、とこんなにいうんですよ」
「…………」
「だから、あっしゃ少しかんしゃくが起きてね、まじめくさってバカげたことをいうな、たこの頭はもっとでけえじゃねえかといったら、かわいいやつでした。なるほど、兄貴ゃ兄貴だけのことがあらあ、大きにそれにちげえねえや、と、こんなにいってね、安心したようにころりとなると、ぐうぐう寝ちまったんですよ」
「バカだな」
「え……?」
「そんな途方もねえバカ話を思い出して、バカげたことをいうと、人さまに笑われるといってるんだよ」
「だって、くやしいんだッ。死んでいいでこぼこ野郎が掃くほども世間にゃころがっているのに、おらがの辰を殺すとはなにごとですかい! だれに断わって殺したんですかい!」
「おれに食ってかかったってしようがねえじゃねえか」
「いいえ、だんなが下手人だというんじゃねえんですよ。ねえ、けれども、ほかに食ってかかる人はいねえんだからね、きょうばかりゃ辰を殺したつもりになって、あっしの愚痴を聞いておくんなせえな。まったく、あれはいちいちやることがかわいかったね。ある晩もね、鼻の頭に梅干しの皮をぺたりと張って、チュウチュウとねずみなきをしながら、お勝手もとをはいまわっていたんでね。何をバカなまねするんだといったら、こうしてねずみをとるんだというんですよ。江戸じゃいっこう聞かねえ話なんだが、鼻の頭に梅干しなんかを張っておいた
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