ごのあたりを散歩しはじめたとなったら、もう梃子《てこ》でも動くものではない。四半刻《しはんとき》、半刻、一刻と、やがて三時間近くも、押し黙って依然ごろりとなったままでしたから、とうとう初雷が夕だちを降らせました。
「ようがす。どうせそうでしょうよ。ええ、ええ、だんなはあっしよりか、死んだ辰のほうがかわいいんだからね。え、ええ、ようがすよ。どうせ、あっしがかぎ出してきたあな(事件)じゃお気に召さんでしょうからね。あばたの大将にてがらをされてもけっこうとおっしゃるなら、それでいいんだ。あっしゃ……あっしゃ……」
「ウッフフ……。アハハ……」
「え……?」
「ウッフフ……アッハハ」
「何がおかしいんです! あっしが泣いたら、何がおかしいんです!」
「では、ひとつ――」
むくりと起き上がると、伝六ならずともまったく腹がたつくらいでした。
「九ツが鳴ったようだね。あれを聞いたら急にげっそりとおなかがへったようだから、おまんまを食べさせてくんな」
「いやですよ!」
「だって、おれがすかしたんじゃねえ、おなかのほうでひとりでにすいたんだから、しょうがねえじゃねえか。何か早くしたくをやんな」
「いやですよ。ろくでもねえおなかをぶらさげているからわりいんだ。だんなは辰がお気に入りでござんしょうから、妙見寺の裏の墓から、おしゃりこうべでも連れてきて、お給仕してもらいなさいな」
「しようのねえあにいだな。いつになったらりこうになるんだ。おちついて物事をよく考えてみねえな。ああしてあばたの大将が、今度こそはてがらにとしゃちほこ立ちをして出かけたうえは、あわててあとを追っかけていったとて、けんかになるばかりなんだ。あのとおり了見のせめえ男だから、お係り吟味を命ぜられた役がらをかさに着て食ってもかかるだろうし、意地わるくじゃまもするだろうし、眼《がん》になるネタだってひっかきまわして、気よく手助けさせる気づかいはこんりんざいあるまいと思ったればこそ、わざとこうして、ほとぼりがさめるまで、時のたつのを待っていたんじゃねえか。敬公を相手の相撲《すもう》なら、このくれえゆるゆるとしきっても、軍配はこっちに上がるよ。どうだい、おこり虫、これでもまだ、おれにおまんまを食べさせねえというのかい」
「ちぇッ。そうでござんしたか。あやまった! あやまった! それならそうと、はじめからおっしゃりゃ、泣くがところはなかったのに、正月そうそうからつれなくなさるから、つい愚痴が出たんですよ。べらぼうめ! あばたの敬公、ざまアみろい。おらがのだんなは、初めから相撲にしていねえんだ。そうと事が決まらば、おまんまも食わする段じゃねえ。あるものをみんな読みあげるから、ほしい品だけをおっしゃってくだせえましよ。――いいですか。ええと、ごまめに、きんとん、おなます、かずのこ、かまぼこ、小田巻き、こはだのあわづけ、芋のころ煮、ふなのこぶ巻き、それから、きんぴらに、松笠《まつかさ》いかのいそ焼きと、つごう十一色ござんすが、どれがお好きですかい」
「みんな出しなよ」
「え……?」
「みんな出せばいいんだよ」
「おどろいたな。このほかにまだあるんですぜ。これは暮れの歳暮の到来ものなんだが、赤穂《あこお》だいの塩むしがまるまる一匹と、房州たこのでけえやつもまだ一ぱい残っているんですぜ」
「遠慮はいらんから、それも出しな」
「あきれたな。こいつをみんな召し上がるんですかい」
「あたりめえだ。食べ物だって風しだい、舵《かじ》しだいだよ。はしの向いたほう、目の向いたほうをいただくんだから、威勢よくずらずらッと並べておきな」
まったく驚くほかはない。いや、むしろ壮観でした。右の十何色のうちから、風しだい舵《かじ》しだいで、はしの向いたほう、舳先《へさき》の向いたほうをたっぷりいただくと、もうこれで胆力はじゅうぶん、といわぬばかりに、ずいと立ち上がって、珍しやきょうは黒羽二重上下の着流しに、すっぽり雪ずきん――、雪駄《せった》の音が江戸一のいきな音をたてながら、いよいよ二十一番てがらの道中にかかりました。
3
「うちはどこだ」
「あれですよ、あれですよ。妻恋坂を上りきって、右へ十五、六間いったところの二階家だといいましたからね。たぶん、あのしいの木の下のうちですよ」
しかるに、その二階家の前まで行くと、表へいっぱいの人だかりがしているのみか、もうとっくにあばたの敬四郎が手配をつけてほとぼりもさめているだろうと思ってきたのに、案に相違して、中ではまだしきりにどたんばたんとやっているのです。
ひょいとのぞいてみると、その若いのが伝六の報告にあったなぞの狂人にちがいない、気違い力を出して、血まみれの出刃包丁をふりまわしながら、しきりにあばれつづけているのを、あれから今までかかってまだ捕えること
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