ないが、今宵《こよい》ばかりは別人です。
思い出してはぽろり……。
ぽろりとやってはまたぽろり……。
大きな手でそれをふいてはまたぽろり……。
伝六だけに、ひとしお哀れです。
名人はもとより黙々として、これもじわり、じわりと、隠し涙を散らしました。
そのかたわらに、古橋専介のひとり娘の小梅がしとやかに並んですわって、名人右門と一対の雛《ひな》ではないかと思われる美しい姿に美しい涙をためながら、なき父の霊前に、静かな回向《えこう》をささげつづけているのでした。
宰相伊豆守も、高貴のおん身のおいといもなく、しんしんと降りまさり、しんしんとふけまさる雪の夜を冒して、お静かにそこに端座されたままでした。
かくて半刻《はんとき》。――四半刻。
それからまた四半刻。
深夜の九ツが、上野のお山からわびしく鳴り伝わりました。
と――タッ、タッ、タッ、というひづめの音です。満座、いろめきたって待ち構えているところへ――
「帰りましてござります!」
第一着の姿を見せたのは、たれならぬ采女《うねめ》でした。
「おお! どうじゃ! どうじゃ!」
「わかりましてござりまするぞ! 手がかり
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