ぐあいというものは、人見知りをしないことおしゃべり屋の伝六ごときぞんざい者をもってしても、おのずと頭が下がるくらいのものでした。
「豆州か。お出迎えご苦労でござった」
「おことば恐れ入ってござります。道中つつがのうございまして、祝着至極にござります」
 まことにどうもこの、豆州か、というような鷹揚《おうよう》で、威厳があって、それでいてじゅうぶんに親しみのある呼び方なぞというものは、お三家のかたででもなくては、なかなかこんなふうに板にはつかないものですが、しかるに、そのごあいさつのさいちゅうです。すこぶるいぶかしい大名駕籠が一丁、尾州侯のお行列を左に避けて、ちょうどそこの二また道になっていた八ツ山坂の坂道目ざしながら、逃げるようにすたすたと通りぬけました。金鋲《きんびょう》打った飾り駕籠のあんばい、供侍らしい者を三、四名従えたぐあい、見ようによっては、二、三万石ぐらいの小大名がどこかその辺へおしのびでの通りすがりと見られましたが、逃げるように駆け抜けていった点がすこぶる不審でしたから、ちらりと認めるや同時で、ピカピカとその目を鋭く光らしたものは、余人ならぬわれらの捕物《とりもの》名人で
前へ 次へ
全47ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング