るまに、八ツ山下をこちらへ回って、葵《あおい》の金紋打ったるおはさみ箱がまず目にはいりました。それから、これも同じご紋染めたる袋をかむせた長柄がさ、つづいて茶弁当を入れたお長持ち、それに毛鞘《けざや》巻いたるお供槍《ともやり》――。
「エイホウ。エイホウ」
 景気のよい小者どもの掛け声に交じって、
「寄れッ。寄れッ」
 供頭《ともがしら》の発する制止の声です。――ついでだから申し添えておきますが、道中しながら天下晴れてこの寄れッ寄れッが掛けられたものは、紀、尾、水のご三家にかぎったものだそうで、声とともに道行く者はいっせいに土下座。その間を前駆の足軽|徒侍《かちざむらい》六十名が、いずれも一文字がさにももだち高くとって、ざくざくとよぎり通る。つづいて尾州侯のお召し駕籠《かご》。とみて、伊豆守様がお静かに歩を運ばせる。お駕籠がぴたり止まって、近侍の者がたれをかきまいらせながらおはきものをささげる、それからお出ましになってのごあいさつですが、一方は六十二万石の将軍家ご連枝、こなたはまた六十余州三百諸侯の総取り締まりたる執権職なんだから、そのごあいさつの簡にして丁重、いんぎんにして要を得たるぐあいというものは、人見知りをしないことおしゃべり屋の伝六ごときぞんざい者をもってしても、おのずと頭が下がるくらいのものでした。
「豆州か。お出迎えご苦労でござった」
「おことば恐れ入ってござります。道中つつがのうございまして、祝着至極にござります」
 まことにどうもこの、豆州か、というような鷹揚《おうよう》で、威厳があって、それでいてじゅうぶんに親しみのある呼び方なぞというものは、お三家のかたででもなくては、なかなかこんなふうに板にはつかないものですが、しかるに、そのごあいさつのさいちゅうです。すこぶるいぶかしい大名駕籠が一丁、尾州侯のお行列を左に避けて、ちょうどそこの二また道になっていた八ツ山坂の坂道目ざしながら、逃げるようにすたすたと通りぬけました。金鋲《きんびょう》打った飾り駕籠のあんばい、供侍らしい者を三、四名従えたぐあい、見ようによっては、二、三万石ぐらいの小大名がどこかその辺へおしのびでの通りすがりと見られましたが、逃げるように駆け抜けていった点がすこぶる不審でしたから、ちらりと認めるや同時で、ピカピカとその目を鋭く光らしたものは、余人ならぬわれらの捕物《とりもの》名人で
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