ちぜん》松平侯に加賀百万石、東海道から関西へかけては、紀州、尾州、ご両卿《りょうきょう》に伊勢《いせ》松平、雲州松平、伊予松平ならびに池田備前侯、長州の毛利、薩摩《さつま》の島津、といったようなお歴々が参覲交替のためにご出府なさるときは、遠路ご苦労であるというおもてなしから、必ずともに将軍家が東北路は小菅《こすげ》、中仙道口は白山、東海道口は品川までわざわざお出迎えにお越しなさったもので、しかしあいにくこのときは二、三日まえからのご風気でございましたために、ご名代となられたかたがいま申しあげた名宰相松平伊豆守様でした。これがただのご遊山《ゆさん》ででもあったら、町方の者までがぎょうぎょうしくご警護申しあげる必要はございませんが、将軍家ご名代としての格式を備えたお出迎えなんだから、お気に入りの右門主従がこれにお従い申しあげたのは当然なことなので、しかるに、いつ、いかなる場所へ行っても、およそあいきょう者は例のおしゃべり屋伝六です。おりからの夕なぎに、品川あたり一帯の海面は、まこと文字どおり一望千里、ところどころ真帆片帆を絵のように浮かべて、きららかな金波銀波をいろどりながら、いとなごやかに初夏の情景を添えていたものでしたから、そこには伊豆守様をはじめ、お歴々がお控えなさっているというのに、場所がらもわきまえず、たちまちお株を始めました。
「ちぇッ。なんともかともたまらねえ景色じゃござんせんか。死んだおふくろに、いっぺんこのながめを見せてやりたかったね。目と鼻のおひざもとに住んでいながら、おやじめがごうつくばりで、ただの一度も遠出をさせなかったんで、おっちぬまでいっぺん海を見て死にてえと口ぐせにいってましたっけが、今度のお盆にゃ位牌《いはい》を抱いてきて、しみじみ拝ましてやるかね」
「バカッ」
「えッ?」
「おめでたいお出迎えに来ているというのに、死ぬの、位牌のと、不吉なことを口にするな」
「そうですか。じゃ、おめでたいことを申しますが、ねえ、だんな、あそこの茶店の前の目ざるに入れてある房州がにゃ、とてもうまそうじゃござんせんか。ご用が済んだら十ばかりあがなってけえって、晩のお惣菜《そうざい》にかに酢でもこしれえますかね」
「よくよくしゃべりてえやつだな。松平のお殿さまに聞こえるじゃねえか。うるせえから、あごをはずして、ふところの中へでもしまっちまえッ」
しかられてい
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