た。外はもうやがて丑満《うしみつ》にも近い刻限だというのに、一歩大門を廓《なか》へはいると、さすがは東国第一の妖化《ようか》咲き競う色町だけがものはあって、艶語《えんご》、弦歌、ゆらめくあかり、脂粉の香に織り交ざりながら、さながらにまだ宵《よい》どきのごときさざめきをみせていたものでしたから、今まで息の根も止まっていたのではないかと思われるほどに静まり返っていたのが、たちまち噴水のごとくに吹きあげました。
「ちぇッ。これだから伝六様というしょうべえはやめられねえや。ねこめがピカピカ目を光らしゃがるんで、人ごこちゃなかったが、もうここへくりゃどんな音でも出らあな。おい、辰ッ。おめえはほぞの緒切ってはじめてなんだろうから、後学のため、本場の花魁《おいらん》の顔をよく拝んでおきなよ。だが、ぽかんとしているてえと、チョボにさいふをすられるぜ」
かりにもご公儀お町方の禄《ろく》をちょうだいしている者に、さいふをすられるぞもないものですが、いわれた川越《かわごえ》育ちの豆やかなお公卿《くげ》さまが、存外にまたすみにおけないので、いとものどかに気どりながら、首筋をすくめるとささやいていいました。
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