ことに伝六は生きたここちもないもののようでしたが、右門はかまわずにさっさと道を神田へ出ると、一路行き向かったところは、河内山《こうちやま》宗俊《そうしゅん》でおなじみのあの練塀小路《ねりべいこうじ》でした。
 しかし、当時の練塀小路は河内山宗俊が啖呵《たんか》をきったほどの有名な小路ではなく、御家人《ごけにん》屋敷が道向かいには長屋門をつらねて、直参顔《じきさんがお》の横柄《おうへい》な構えをしているかと思うと、そのこちら側には願人坊主の講元があるといったような、士、工、商、雑居の吹き寄せ町で、そのごちゃごちゃと蜘蛛手《くもで》に張られた横路地を、あちらへこちらへしきりに何か捜しまわっていたようでしたが、ようやくそこの鍵辻《かぎつじ》を袋地へ行き当たったどんづまりで、『都ぶり人形師――藤阿弥《ふじあみ》』と、看板の出た一軒を発見すると、どんどん表戸をたたきながら呼びたてました。
「起きろ起きろッ、戸をあけろッ」
 徒弟らしい若者が、なにげなく繰りあけたその足もとで、いまだになおつけ慕っていた怪猫《かいびょう》が、不意にニャゴウと鳴きたてましたものでしたから、若者のぎょッとなったのはいうまでもないことでしたが、しかしさすがは生き馬の目を抜くお江戸のまんなかで育った職人でした。
「八丁堀のおだんながたでござりまするか」
 早くも右門主従をそれと知ったらしく腰を低めましたので、名人もまたおごそかにきき尋ねました。
「藤阿弥は在宿か」
「へえい。急ぎの注文がござりますので、まだ起きてでござります」
「少しく調べたいことがあるによって、取り次ぎいたせ」
「いえ、参ります。ただいまそちらへ参りまするでござります」
 きき知ったか、奥の仕事べやから、両手をどろまみれのままで、当の藤阿弥がいかにも名ある人形造りらしい風貌《ふうぼう》をたたえながら、取り次がぬ先に姿をみせましたものでしたから、こわきにしていた髪の毛をつきつけると、鋭く問いただしました。
「この髷《まげ》の都ぶりに結いあげているところから察して、たぶんそのほうが手がけた品じゃろうと、かく夜中わざわざ詮議《せんぎ》に参ったが、覚えはないか」
 受け取って、丁子油のにおいをかいでいたようでしたが、名人の慧眼《けいがん》やまさに的中――。
「お察しどおりでござります。たしかに、てまえが注文をうけまして、さる人形に植えつけた品
前へ 次へ
全29ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング