−3−28]――主と寝ようか五千石取ろか
   なんの五千石主と寝よ。
[#ここで字下げ終わり]
 いっしょに梅丸竹丸が各自一振りずつ大きく腰を振って、商売なれしたもののごとくに、ぱッぱッと白い粉末を散らしながら、おのおのそのたびの裏に塗りつけたものは、竹棒をすべらぬための用意にと、先ほど右門がいった石灰でした。と見るまに、両名は別々のはしごを伝わりながら、そこの天井から向こうとこっちにぶらさがっている二本の竹棒の上にふんわり身軽くめいめいが乗り移ったと見えましたが、右手《めて》に扇子、左手《ゆんで》に唐笠《からかさ》を各自巧みにさッと開いて、下座の鳴り物調子に合わしながら、主と寝ようか五千石取ろかを、すべすべとした細い竹棒の上でいともあざやかに踊りつつ、手に汗するようなあぶない棒渡りの空中芸を競演しだしたものでしたから、伝六はむろんのことに、お公卿《くげ》さまの善光寺辰までが、のっぺりとのどかな顔にぽかんと大きく口をあけながら、すっかり二つの妖花《ようげ》の空中踊りに見とれてしまいました。
 けれども、わが捕物名人ばかりは、およそこういうところが品のできの違うところです。ふたりの手下がぽかんと妖花の芸に見とれているのをそこにほっておきながら、やにわにすいと立ち上がると、ずかずかと舞台の上にやっていって、爛々《らんらん》烱々《けいけい》と目を光らしながら、今、梅丸竹丸両名が竹棒の上にのぼるまえ、そこの板の上に残しておいた石灰の粉末のたび跡の大きさを、じいっと見調べました。
 ところが、どうもこれがじつに意外中の意外なので、右門の足は九文七分であったのをさいわい、それを標準のものさしにして両名の白い粉の足跡を計ってみると、偶然なことに、梅丸竹丸いずれもが同じように九文三分くらいの大きさでしたから、こりゃいけねえ、というように、すっかりあてのはずれた面持ちでした。また、これは、いかな名人であっても、ことごとくあぐねきってしまうのが当然なので、少なくも事件の重大なかぎとなるべき、あの女親方のへやにうっすらと乱れ散っていた大きなほうの粉足跡は、梅丸竹丸両名のうちのどちらかが残したものであろうとにらみがついたればこそ、こうやって見たくもない竹棒渡りまでも演ぜしめたのに、しかるをいま両名の足跡を検分したところによれば、なんとも腹のたつ偶然なことには、両々等しく九文三分ぐらいの大きさを示していたものでしたから、せっかくの手がかりとなすべき努力も水泡《すいほう》に終わったのを知って、空中芸の済むのと同時に、やや思案に余ったかのごとく、ふたたび殺人の現場へ引き返していくと、じろじろ目を光らして丹念に死骸《しがい》を見ながめていたようでしたが、と――とつぜん、くすりと笑いだすと不意にいいました。
「な、伝六ッ」
「えッ」
「めったなことはいうもんじゃねえよ。むっつり右門ももうろくしたなと、さっきひとごとのようにひやかしていたが、おれともあろうものが、こんなでかいネタを見のがすんだからな。うっかりしたせりふはきけねえものさ。その女親方の口にかみ切られている振りそでをよく見ねえな」
「何か、るすの間にそでの様子でも変わったんですかい」
「いいや、変わりゃしねえがね。見りゃ、桜の花が染めぬいてあるから、さっき見た竹丸の竹模様、梅丸の梅模様だったところから推しはかって、おそらくその振りそで衣装をつけていたかるわざ娘は桜丸とでもいう名だろうが、でけえネタを見のがしたというな、その片そでの一枚下だよ」
「下に何か手品のしかけでもありますかい」
「あるんだから奇態じゃねえか。ちょっと上のをまくってみなよ」
「よよッ。なるほど、下にもう一枚模様の違った衣装のすそみてえなものを食いちぎっておりますね。しかもこりゃ、さっき梅丸が着ていやがったやつとおんなじ梅模様じゃござんせんか」
「だから、右門もとんだもうろくをしたものさ。いくら梅と桜と紛れやすい模様だからって、これに気がつかねえようじゃ、われながら皆さまに申しわけがねえよ。だが、もうこうなりゃおれの畑だッ。ふたりとも、さっき見とれたべっぴんをじきじきに拝ましてやるから、ついてきな!」
 いいつつ、ずかずかと押し入ったところは、いうまでもなく梅丸の楽屋べやです。ちょうど舞台を下がって、今の放れわざに一汗かいたものか、あらわな肉襦袢《にくじゅばん》一枚になりながら、しきりと胸のあたりに風を入れていたところへ、ぬうと右門主従が押し入りましたので、恥じおどろきながら梅丸があわてて脱いだ衣装を春の盛りの熟《う》れきった肉体に羽織ろうとしましたものでしたから、右門がやにわに足でしっかと踏みおさえると、しかるかのごとくにいいました。
「まてッ。この衣装にゃ、ちっと用があるんだッ」
 いいつつ見調べていたようでしたが、と、――果然、その内前すそが五寸四方ほど食いちぎられていることが発見されましたので、なんじょう名人の目のさえないでいらるべき――いとも皮肉にからんだ真綿責めのことばが、じっくりと飛んでいきました。
「舞台じゃはかまをはいていたので、このすその傷に気がつかなかったが、顔に似合わねえとんだ放れわざをやんなすったものだね。今、こっちの正体も拝ましてやるから、とっくりごらんなせえよ」
 いうや、ぱらり紫ずきんをはねのけて、秀麗かぎりない美貌《びぼう》に莞爾《かんじ》とした笑《え》みを見せていたようでしたが、ずばりといったそのことばは、なんともはや、右門党にとっては胸のすくことでした。
「ほんもののむっつり右門は、こんな顔をしているんだ。さ、気つけ薬になるか、虫干しになるか、よっくごらんなせえよ」
 ぎょッとなったのはむろんのことに梅丸ですが、しかるに、こやつがあでやかさにも似合わず、どうも強情でした。肉襦袢一枚の五体をわなわなと震わしたきりで、さらに口を割ろうとしなかったものでしたから、伝六があけっぱなしに始めました。
「じれってえだんなじゃござんせんか。どういうホシをつけなすったかしらねえが、割らなきゃ口を割るように、早いところ締めあげておしまいなせえよ」
「だめだよ」
「ちぇっ、べっぴんだから、おじけが出たんですかい」
「うるせえな。拷問火責めでものをいわするおれさまだったら、だれも右門党になんぞなっちゃくださらねえや」
 いいつつ、[#「、」は底本では「、、」]微笑しながら、じろじろとへやのうちを見ながめていましたが、ふとそのときわれらの捕物名人の目についたものは、そこの壁に張られてあった次のごとき張り紙です。
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「、座員、堅く厳守すべき条々のこと。
一、間食い、ないしょ食いいたすまじきこと。
二、夜ふかしいたすべからざること。
三、男員いっさい女座員のへやに立ち入るまじきこと、ならびにまた女座員、いっさい男員べやを犯すまじきこと。
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以上の条々忘るべからず――娘かるわざ一座座長」
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 ――だのに、なんという皮肉なことでしたか、それともまぬけのまぬけわざというべきでしたか、ちょうどその第三条の男員いっさい女座員のへやへ立ち入るまじきことと書いてある文句の下の、手梱《てごおり》、手箱、衣装なぞが雑然として積み重ねられているその壁のところに、紛れもなく男物の、それも土のついた雪駄《せった》が一足隠し忘れてあったものでしたから、名人がにやりと笑うと、手裏剣少年をあわただしく呼び招いて、不意に尋ねました。
「当一座には、男芸人が何人いるか」
「木戸番道具方をのぞきますと、芸人と名のつく男は、このわたくしのほかに、百面相を売り物といたしまする鶴丈《かくじょう》というのがひとりいるきりでござります」
「なにッ、百面相の芸人とな!」
「はい。じつによく顔をつくりかえますゆえ、なかなかの人気でござります」
「何歳ぐらいじゃ」
「もう五十いく歳とやら承りました」
「そんな年で、若い男にも化けおるか」
「はい、別して、若化けが得意芸のようにござります」
「どこにいるか」
「つい、いましがた、向こうの男べやにうろうろとしていましたゆえ、まだいるはずにござります」
 聞くや、じつに唐突な右門流でした。
「じゃ、伝六ッ、辰ッ、もうあっさりとしっぽを巻いて引き揚げようや。百面相の鶴丈先生とやらに、こんどは牛若丸かなんかに化けられちゃ、とてもおれにだって八艘飛《はっそうと》びゃあできねえんだからな――では、梅丸さん、しどけないところへ飛び込んできて、どうもお騒がせいたしました。せいぜいこの張り紙の文句をお守りなせえよ」
 言い捨てると、ゆうぜんと両手をふところにしながら、すうと表のほうに出ていってしまいました。

     5

 けれども、表へ出るは出ましたが、帰るかと思いのほかに、ひらりと身をひるがえしながら、そこの楽屋口をふさぐようにおい茂っていた暗い木立ちの中にすばやく身を潜め入れましたものでしたから、ことごとくお株を始めたのは伝六です。
「ちょっと、ちょっと、だんな、だんな! 何をとち狂っていらっしゃるんですかい。そんなほうにけえり道ゃござんせんぜ。こっちですよ! こっちですよ」
「バカッ、声を立てるなッ」
 しかりつけながら、何者かを待ちうけてでもいるような様子でしたが、と――それを裏書きするかのごとくに、あたりをうかがいうかがい、そそくさと楽屋口へ姿を見せた者は、黒い二つの影です。ひとりは紛れもなく男。あとはまたまさしく女――
 と見るやいなや、すいと名人のからだがつばめのように両名の前へ立ちふさがったと思われましたが、同時に両手でぱッぱッともうあの草香流にものをいわせつつねじあげておくと、ずばりしかりつけました。
「バカ者どもめがッ。おおかたこう来るだろうと思うて、わざと引き揚げるように見せかけたんだッ。さ! こっちの梅丸でもいい。またはそっちの百面相でもいい! ほんもののむっつり右門にかかっちゃ、おめえたちの下司《げす》の知恵ぐれえで、とてもたち打ちできねえんだから、すっぱりどろを吐いてしまいねえな」
 ふたりして高飛びしようとした現場を押えられましたものでしたから、ついに強情娘も口を割ってしまいました。
「――まことに恐れ入りました。おめがねどおり、親方を殺した下手人は、いかにも、この梅丸でござります。と申しあげただけではさぞかしご不審でござりましょうが、実のところを申しますると、それもこれもみんな女のあさましいねたみからでござりました。もともとを申しますれば、わたしのほうがずっとまえから、この娘一座では姉分でもござりましたし、いくらかよけい人気もいただいておりましたのに、あの桜丸様がわたくし同様、竹棒渡りをいたしますようになりましてから、日に日に人気負けがいたしましたゆえ、そのことを親方さまに申しあげて、あすから役替えしていただくようにお願い申しましたところ、いっこうお聞き入れくださりませなんだゆえ、ついいさかいしているうちに、逆上いたしまして、ちょうど目の前に親方さまの匕首《あいくち》があったのをさいわい、あやめるともなくあやめてしまいましたのでござります」
「よし、わかった、わかった。それから先は、おれがいちいちずぼしをさしてやろうか。そのとき親方が、おめえの衣装のすそを苦しまぎれに食い切ったところへ、物音をきいて桜丸がやって来そうだったゆえ、おまえが灯《ひ》を吹っ消したんだろうがな」
「はい、おっしゃるとおりでござります。それゆえ、わたしが――」
「いや、言わいでもわかっているよ、わかっているよ。それゆえ、おまえがどこかへやのすみにでもうずくまって隠れているところへ、桜丸が知らずに駆け込んだので、親方がおまえと思いつめて、断末魔の前に桜丸のそでを食いちぎったんじゃねえのかい」
「はい。ですから、これさいわいと存じまして、騒ぎに紛れこっそりとへやを抜け出しまして、鶴丈さんの百面相をまんまと使い、桜丸様を罪におとしいれようとしたのでござりましたが、やっぱり……」
「ほんもののむっつり右門ほどには、化けきれなかったという
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