ござんせんか」
「だから、おめえなんざいつまでたっても出世しねえんだ。ご番所のご公金だからこそ、足代だとてむだにしちゃならねえじゃねえか。辰あきのうきょうの新参者だ。しかるにもかかわらず、新参者が初手から駕籠なんざあぜいたくすぎらあ。年季が積むまで修業しなきゃならねえから、かわいい弟分の兄弟つきあいだと思って、いっしょに苦労を分けてやんなよ」
ここらが右門の右門たるゆえんですが、とんだところへ兄弟分の修業つきあいを仰せつかったものでしたから、伝六のしょげ返ったこと、しょげ返ったこと――
「ちぇッ。ありがたすぎて涙が流れらあ。みろい、辰ッ。いっしょに苦労を分けてやるからにゃ、あしたから、おめえが一日交替でおまんまをたけよ」
いいつつも、四尺八寸のお公卿《くげ》さまといっしょに、それなる手裏剣打ちの芸人を小屋への案内人として、ふうふう息を切らしながら駕籠のそばを走ってまいりましたものでしたから、右門はただちに浅草奥山の見せ物小屋通りに乗りつけました。
3
時刻はもう四ツそこそこの刻限でしたから、むろんのことに見せ物小屋ははねたあとで、どこもかしこもひっそりと死んだように静かでしたが、しかし、問題の娘かるわざ一座ばかりは、さすがに事件直後のこととて、座員の者はいずれも楽屋裏につどいながら、血の色も失いつつ、うろうろとたち騒いでいるさいちゅうでしたので、右門は顔を見知られてはならじというもののごとくに紫覆面のまま、それなる手裏剣打ちの少年を案内に、ゆうぜんと犯行現場へやって参りました。
と――座頭《ざがしら》の親方を失ったための善後策に夢中のあまりにか、それとも事件に対するおどろきと狼狽《ろうばい》からか、犯行のあった女親方の一室は、死骸《しがい》から何からまだそのままでしたから、何はともかく現場探査をしなくてはと、ぶきみもいとわずずかずかと死骸のそばに近づいていきました。
見ると、いかさま女親方は、ちょうど乳のあたりをぐさりと一突きやられて、胸から腰から畳の上にまでべとべと血をしたたらしながら、しかもその口の中には、少年の陳述したとおり、はでやかな娘物の衣装の片そでを必死にガブリとかんで食いちぎったまま、断末魔の形相もものすごくのけぞっていたものでしたから、あまりな凄惨《せいさん》におもわず右門も顔をそむけていたようでしたが、しかし、そむけつつもその秀抜かぎりない両のまなこは烱々《けいけい》として寸時の休みもなく、へやのうちのあちらこちらへと注がれました。
と――注いでいったその足もとの畳の上に、はからずも発見されたものは、白い粉の浮いた足跡――あるかないかくらいにうっすらと、何かの白い粉が浮いた足跡です。それも、よくよく見ると、いくつか入り乱れながらしるされている粉のその足跡に、紛れもなく大小二つがあるので、一つは八文七分くらい、一つは九文三分くらい、まことに右門ならでは発見のできないくらいにかすかなかすかな大小の足跡でしたが、かくあきらかに八文七分くらいと九文三分くらいの大小二いろがあるところから判断すると、かたかたずつ大きさのちんばな足を所有している珍人間でもがあらば格別、そうでないかぎりは、足の裏に白い粉のついているふたりの人間がまさしくこのへやに闖入《ちんにゅう》したことを物語っていましたものでしたから、なんじょう名人の目のさえないでいらるべき――ちょうどそこへ、へやの入り口から、のっそりと六十ぐらいのよぼよぼなおやじが顔をのぞかせましたので、右門の鋭い質問が矢のように飛んでいきました。
「そちらはこの座で何をいたしおる者じゃ」
「へえい、番頭代わりかたがた楽屋番をいたしおるおやじめでござります」
「では、このできごとの前後のもようなども存じおるであろうが、これなる親方があやめられたときは、どんな様子じゃった」
「倒れて消えましたものか、わざと吹き消しましたものか、へやのあかりが消えますといっしょに、どたばたとけたたましい物音がござりまして、まもなくキャッという悲鳴がござりましたゆえ、みんなしてこわごわやって参り、ここの入り口からあかりをさし入れまして、そっとのぞきましたら、親方さまがかようなお姿となられまして、そばにその手裏剣打ちの姉めがそでを食いちぎられて、がたがたと震えていたのでござります」
「そのおり、だれぞこのへやの中まではいりおったか」
「いいえ、だれもはいった者はござりませぬ。なにしろ、こわい一方で、みんなここのところから、震えふるえのぞいたばかりでござります」
「その後もずっと、このへやへ座方の者ではいった者はなかったか」
「へえい。なにしろ、娘子どもの多い一座でございますゆえ、みんなもう血のけを失って、いまだにだれもそばへ寄りつく者がないくらい、こわがってでござりましたゆえ、せめ
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