ございましたが、どうしてまた昔の素姓までがおわかりでございましたか」
「むっつり右門は伊達《だて》にそんなあだ名をもらっているんじゃござんせんよ。ほかでもねえ、その眼のついたのは、あなたの右手先に見える三味線《しゃみせん》のばちだこからさ。どうだい、伝六。わかったら、そろそろあばたの敬公に人ごこちをつけてやろうじゃねえか」
「まあお待ちなせえよ、お待ちなせえよ。人ごこちをつけてやるはいいが、だいいち野郎がどこにいるかもまだわからねえじゃござんせんか」
「うるせえな。右門のにらんだまなこに、はずれたためしはただの一度だってもねえじゃねえか。ちっちゃくなってついてきなよ」
 ずばりというと、それなる江戸節上がりの女を引き連れながら、舟に命じてふたたびこぎつかせたところは、仏画師眠白の白壁屋敷でありました。それも、岸へ上がるとただちにあの松の木の枝の下へゆうぜんとして歩みよったと見えましたが、奥儀をきわめた武道鍛練の秘技こそは、世にもおそるべきものというべきです。
「えッ!」
 鋭い気合いとともに、ぱッと土をけると、右門の五体はふんわり宙に浮いて、五尺の上もある土べいの上に軽々とのっかりました。
 かくして、容易に右門が内側から門を開きましたので、伝六は女を引き連れながら、ただちにそのあとにつづきました。はいってみると、これがどうしてよくもこれだけためあげたと思われるほどな一倍の広大きわまりない大邸宅で、ことに目をひいたものは、家棟《やむね》にすぐとつづいた二戸前の土蔵でありました。
 右門はそれを見ると、ふふんというように微笑を漏らしていましたが、女の手引きがありましたものでしたから、ただちに主人眠白の居室に押し入りました。と同時に、眠白もむくりと夜具の中から起き上がりながら、もう幾筋も大しわが寄っているくせに、てかてかといやにあぶらぎっている女好きらしい下品な顔をふり向けながら、ぎょッとなって、右門主従を見つめていましたが、それと気がついたものか、とたんでありました。やにわとまくらもとのわきざしを、がらにもなく取りよせましたものでしたから、当然のごとく名人の口にカラカラという大笑がわき上がると、いとも胸のすく小気味のいい啖呵《たんか》が、ずばりときられました。
「ふざけたまねはよしねえな。敬四郎たあ、ちっと品が違うぜ。むっつり右門とあだ名のおれを知らねえのかい」
 と――いきなりわきざしを片手にしながら、ばたばたと眠白が逃げ出しましたので、右門は莞爾《かんじ》とうち笑っていましたが、音をあげたのは伝六でした。
「野郎人を食ったまねしやがったな! 待てッ、待てッ」
 うなりながら、ここを必死と追いかけていったようでしたが、まもなくおおぎょうに叫ぶ声がありました。
「だんなだんな! 追い詰めましたよ! 追い詰めましたよ! この土蔵の中へ追いつめましたから、早く来て草香流をかしてくださいな」
 だが、右門はいたって悠揚《ゆうよう》としたものでした。にやにやとうち笑《え》みながら、片手をふところにして、のっそりとあとからはいっていったようでしたが、しかし一歩それなる土蔵へはいると同時に、ややぎょっとなりました。もう燃えたれかかったろうそくの鬼気あたりに迫るようなぶきみに薄暗いあかりの下に、右手のない一個の死体が、からだじゅうを高手小手にいましめられながら、やせ細った芋虫のようになって、ころがされてあったからです。そして、その死骸《しがい》のそばに、不憫《ふびん》というか、笑止というか、それとも憫然《びんぜん》のいたりというか、同じく高手小手にくくしあげられて、げっそり落ちくぼんだ目ばかりピカピカ光らせていた者は、だれでもない、あのあばたの敬四郎でした。
 右門はその死体を見ると、片手の切りとられているという一事から、すぐとそれが弟子《でし》の五雲であることを察しましたので、がぜん鋭い叱声《しっせい》があげられました。
「バカ者めがッ。まだ五雲を生かしておいたら、ずいぶんと慈悲をたれてもやろうかと思うていたが、この血迷ったしうちはなんのざまだッ。それも、見りゃどうやら食い物をとりあげて、干し殺しにさせやがったじゃねえかッ。うぬのようなちょぼくれおやじを、色餓鬼というんだ。さ! 神妙になわをうけろッ」
 しかし、眠白はいらざるまねをするやつでした。右門のその叱声《しっせい》を耳にすると、不意にぎらりとわきざしを抜き放ちながら、とらば一突きにとばかり近より迫った相手は、なわめの恥をうけている敬四郎ののど輪です。だから、敬四郎が血のけを失いながら、すっかり青ざめてしまったことはいうまでもないことでしたが、それとともに三たび音をあげた者は伝六で、こやつ日ごろは敬四郎をどぶねずみにまでもこきおろしていながら、いざとなるとやはり右門のうれしい配下です
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