。憎みは憎み、愛は愛、人の危急を見ては捨ておけぬ江戸まえの気魄《きはく》を小者は小者並みに持っていたものでしたから、けたたましく怒号いたしました。
「やい、野郎ッ、なんてまねしやがるんだッ。引けッ、引けッ。そのなまくら刀を引かねえかッ。ね、だんな! なんとか法をつけておくんなせよ! 早くどうにか、おまじないをしてやってくだせえよ!」
いうと、おろおろしながら右門に迫りました。それをききながら、捕物名人は、うれしい気性の手下だなというように微笑を含みふくみ眠白のほうをながめていましたが、例のすっと溜飲《りゅういん》が下がるような啖呵《たんか》が、おもむろに放たれました。
「古風なまねあよしねえな。そんな大時代な人質攻めは、当節奥山の三文しばいでだってもはやらねえぜ。あっさり手を引かねえと、いまにけがするよ」
いいつつ腰のものの小柄《こづか》に、そっと片手がかけられたと見えると、目にも止まらぬ名人の名人わざでした。
「ざまあみろ! いううちに、けがをしたじゃねえか」
いったときは、名人の小柄が、ぷっつり眠白の右手の甲にささって、ぽろりわきざしが手のうちから床にすべったところを、近よりながら例の草香流で、すでにぎゅっと片手捕えにねじあげていたあとでした。のみならず、捕物名人はしずかに伝六をかえりみるといっていたので――。
「きさまにゃ、どうして眠白が敬四郎どのをさらってきたかわかるまいから、ふにおちるように締めあげてみなよ」
命令があったものでしたから、伝六はにわかに強くなると、ぎゅうぎゅうとくくしあげながら責めたてました。
「なんだって、こんな手数をかけやがったんだ。さあ、どろを吐け! さっさと吐いちまえ!」
かくなるうえは、老痴漢とてももう施すべきすべがなかったものとみえまして、なにゆえ敬四郎をさらいとったか、恐れ入って実を吐きました。
「年がいもないあさはかなまねをいたしまして、面目しだいもござりませぬ。おおかたのことは、もうあれなるおなごめからお聞き及びのことでござりましょうから、改めて申しませぬが、あやつめが気味のわるい罪を犯して帰りましたゆえ、さぞご番所でもお騒ぎだろうと存じまして、こっそり様子を探りに参りましたら、こちらの敬四郎様とかおっしゃるだんなが、お手当にお出ましなさると知りましたので、あのおなごめが下手人とわかって、もし召しとらわれましたならば、てまえの隠しておいた五雲殺しの罪も自然わかるだろうとあさはかに考えまして、おとといの夜日本橋にてお手向かいだてをいたしましたのでござります。と申したら、絵かきふぜいががらにない腕だてじゃとおぼしめしますでござりましょうが、若いころ、いささかばかり剣術のまねごとをいたしましたので、はからずもそれが役に立ちましたのでござります。それに、こう申しましたら、こちらのだんなさまはお腹だちでござりましょうが、ご番所にお勤めのかたにしてはちっとお情けないお腕まえのように存じましたので、てまえごとき非力者にもたわいなくお眠らせすることができましたのでござります」
敬四郎がその軽侮きわまりない眠白のことばにことごとくまっかになったのはいうまでもないことでしたが、伝六というやつは実に喜ぶべき天真らんまんなあいきょう者でした。きくと同時に、意地わるく敬四郎の顔をしげしげと見ながめながら、いたって大きな声でいいました。
「ね、ちょっと、敬四郎のだんな、今の眠白のせりふをお聞きなさいましたかい。こちらのだんなは、ご番所のかたにしては、ちっとお情けないお腕まえだといいましたぜ。ね、だんな、とっくりお聞きなさいましたでございましょうね」
これで胸がすっとしたというように、あけすけといやがらせをいったものでしたから、右門はくすくす笑っていましたが、伝六を顧みるといいました。
「かわいそうだが、あっちの女も伝馬町へいっしょに引いていけよ。病気が直るまでじゃ。物騒で、うっかり放し飼いはできねえからな。――眠白もまた覚悟をしろよ。ともかくも、人間ひとりをなぶりごろしにしたんだからな。それから、召し使いに忘れずいっておきなよ。かわいそうな五雲のあとの始末を、ねんごろに営んでつかわせとな。では、伝六、そろそろ参ろうかな」
命じておいて、敬四郎のかたわらに歩みよりながら、ぷつりそのいましめを切り解くと、あの秀麗な面に、ほのぼのとした微笑をうかべながら、いかにも右門らしい皮肉をずばりとひとこと浴びせかけました。
「げっそりおやせなすったようだが、どうやらこれでまた命がつながりましたから、たんと娑婆《しゃば》の風でもお吸いなさいましよ」
そして、そのひとことの皮肉で、いっさいの憎みが洗い流されでもしたかのように、さっさと伝六のあとを追いました。
底本:「右門捕物帖(二)」春陽文庫、春陽堂書店
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