もあるか」
「はい。お恥ずかしいことながら、お目がねどおり囲われ者として、この三年来情をうけている者にござります」
「もうよほどの年のはずじゃが、眠白は何歳ぐらいじゃ」
「六十を二つすぎましてござります」
「ほほう、六十二とな。よし、もうそれで先はだいたいあいわかった。六十を過ぎたちょぼくれおやじに、そなたのような年の違いすぎるあだ者が囲われ者となっていると聞かば、両腕首のあざのあとも何の折檻《せっかん》かおおよそ察しはついたが、思うに、そなた眠白の情をいとうているな」
「はい……ご眼力恐れ入ってござります。このようなのろわしい病にかかって、夢の間に人の指なんぞを切り盗むようになりましたのも、みんなそれがもとでござりまするが、実は眠白様のおふるまいがあんまりあくどく、しつこうござりますゆえ、いとうとものういとうているうちに、ついお弟子《でし》の五雲様と人目を忍ぶような仲になってしもうたのでございます。その五雲様がまたあいにくと申しますか、このごろめっきり絵のほうがお上達なさいまして、お師匠よりもだんだんと画名が高まってまいりましたので、わたくしたちの仲をお気づきなさいましたとき、つい眠白様の憎しみが二倍したのでござりましょう。おかわいそうに、五雲様は眠白様の嫉刃《ねたば》にお会いなさいまして、画工には何よりもたいせつな右の腕を切りとられたのでござります。それというのも、眠白様のお考えでは、わたくしが五雲様に心を移したのも、あのかたのご名声が高まってきたゆえからと思い違えたのでござりましょう。筆とる右腕を切ってやったら絵はかけぬはずじゃ、絵がかけなくば名声がすたるはずじゃ、名声がすたらばわたくしの恋もさめるはずじゃ、とこのようにあさはかなことを申されまして、おむごたらしいことに根もとからぷっつりとお切り取りなさいましたのでござります。けれども、五雲様にはまだ満足な左腕が一本ござりましたゆえ、人の一心というものはあのように恐ろしい力を見せるものかと驚いてでござりまするが、半年とたたぬうちに、その残った左腕で、またまた五雲様がまえよりもいっそう名声のお高くなるような絵をいくつもいくつもお仕上げなさいましたのでござります。それに、わたくしどもの間がらも、ますます深まってこそまいりましょうとも、そのくらいなことでお考えのようにさめるはずはござりませなんだゆえ、とうとう眠白様の嫉刃《ねたば》が三倍にも八倍にも強まったのでござりましょう。おかわいそうに、今度は残った五雲様のその左腕を、それも意地わるく筆をとるにたいせつな親指と人さし指を、またもむごたらしゅう切りとったのでござります」
「そうか。よし、もうそれでことごとく皆あいわかった。――では、伝六! そろそろあばたの敬公を救い出しに出かけようよ」
「えッ?」
「あばたの敬公をしゃばの風に吹かしてやろうといってるんだよ」
「わからねえことをとつぜん[#「とつぜん」は底本では「とっぜん」]おっしゃいますね。だって、まだ話を中途まで聞いただけで、この女がどうしてまたあんなだいそれたまねをしやがったか、それさえわからねえんじゃござんせんか」
「血のめぐりのおそいやつだな。ほれた絵かきの男が、最後に残った左手のたいせつもたいせつな親指と人さし指をまたもや見せしめに切りとられたんで、このご新造さんそれをかわいそうに思いつめた結果、夢癆病《むろうびょう》に取りつかれて、ご自身は知らずにあんなまねをしたんだよ。それが夢癆病の気味のわるいとこだが、正気じゃだれだってもそんなことは考えることさえもできねえのに、夢まぼろしの中で考えると、他人の指を切りとってくりゃ、ほれた男のだいなしになった手の指が、満足に直ると思われたんで、ふらふらとあんなふうに、ぶきみなまねをしちまったんだ。さっきのあの足のある幽霊みていな歩き方を見てもわかるが、それよりも大きな証拠は、今このご新造さん、おれの一喝《いっかつ》で夢からさめたとき、自身でもまたやったかとおっかながって、おぞ毛[#「おぞ毛」はママ]をふるっていたじゃねえか」
「なるほどね。そういわれると、ふにおちねえでもねえんだが、それにしてもあの怪力はどうしたんですい。こんな優女に、あんな怪力の出たのが不思議じゃござんせんか」
「それが夢の中の一念だよ。きつねが乗りうつったようなものだからな、自身じゃ知らねえ力がわくんだよ。ついでだから、このご新造さんが夢の中を歩いていても、あのとおり江戸の地勢に詳しかった手品の種もあかしてやるが――な、ご新造さん、あなたは今のその眠白のお囲い者になるまえに、江戸節か、鳥追い節を流して江戸の町を歌い歩いたおかたじゃなかったのかい」
「ま! 恐れ入ってござります。恥ずかしい流し稼業《かぎょう》でございましたゆえ、そればっかりはお隠しだてしてで
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