にさしかかってもなお右岸ばかりを見捜しつづけていたものでしたから、しきりに伝六が首をひねっていると、ちょうど舟が墨田堤にかかろうとしたそのとたんです。土手を隔てたすぐの向こうに、くねりと枝を川に向かって張っている一本の松を邸内にかかえ込んだ、高い厳重な白壁回しの屋敷を発見すると、それこそ今まで捜し求めた目的物だといわぬばかりに、にんめり微笑を漏らしていたようでしたが、不意と船頭に命じました。
「よしッ、あの松の木の見える白壁屋敷のこっ側へ舟をつけろ」
 のみならず、舟|龕燈《がんどう》を船頭から借りうけて、ぬうと枝を壁外にくねらしている松の木の下に近づいていくと、しきりに白壁の表を見照していましたが莞爾《かんじ》として大きな笑《え》みをみせると、とつぜん伝六にいいました。
「もうこっちのものだよ。おれがお出ましになったとなると、このとおりぞうさがねえんだから、たわいがねえじゃないか」
「だって、こりゃ、松の木がへいぎわにはえている白壁のお屋敷というだけのことで、なにもまだ目鼻はつかねえんじゃござんせんか」
「だから、おめえはいつまでたってもあいきょう者だっていうんだよ。まず第一に、この松の木の強いにおいをかいでみねえな」
「かいでみたって、松やにのにおいが少しよけいにするだけのことで、なにも珍しかねえじゃござんせんか」
「あきれたものだな、下手人の野郎の着物に松やにのにおいがしていたってことを、もうおまえは忘れちまったのかい」
「いかさまな、ちげえねえ、ちげえねえ。するていと、下手人の野郎の着物が、水びたしにぐっしょりぬれたっていうな、この大川を泳ぎ越えてきたからなんだね」
「そうさ。きのう支倉屋で買った絵図面を調べたときに、おそらく下手人の野郎は、大川の向こうに根城を構えていやあしねえかなと気がついていたよ。あの二筋の自身番も番太小屋もねえ道筋へ線を引いてたどってみると、不思議にどれもこれもその道の先がこの大川端で止まっていたんだからな。ところへ野郎の着物が水びたしになっていたと、もっけもねえことを聞いたんで、てっきり川向こうだと確信がついたわけさ。そのうえ、松やにのにおいがしみついていたといったろう。だから、こうして川下から松の木のある家を捜してきたというわけさ」
「でも、ちょっと変じゃござんせんか。こんな大きなお屋敷でこそはなかったが、松の木のある家や、今までだってもずいぶん舟の中から見たようでしたぜ」
「それがおれの眼力のちっとばかり自慢していいところさ。まあ、よく考えてみねえな。松やにのにおいが着物にしみついていたといや、野郎が松の木を上り下りした証拠だよ。としたら、どこの家にだって、門もあろうし出入り口もあるんだから、なぜまたわざわざご苦労さまに松の木なんぞを上り下りしなきゃならねえだろうかってことが、不思議に考えられそうなものじゃねえか。そこが不思議に考えられてくりゃ、野郎め、大ぴらに大手をふって門の出入りができねえうしろ暗い身分の者か、さもなくばお屋敷奉公でもしている下男か下働きか、いずれにしても、門を自由に大手をふっては出入りのできねえ野郎だってことが、だれにだっても考えられるんだからな。そこまで眼がついてくりゃ、よしんば松の木はいくらあったにしても、ちっちぇい家には目もくれねえで、大きな屋敷をめどに捜してきたってことがわかりそうなものじゃねえか」
「いかにもね。だが、それにしても、河岸《かし》っぷちだけに見当をつけて上ってきたなあ、少しだんなの勘違いじゃござんせんかい。本所深川を捜していたら、もっと奥にだって、へいぎわに松の木のあるお屋敷がいくらでもあるにちげえねえんだからね」
「いろいろとよく根掘り葉掘り聞くやつだな。もし、河岸の奥に野郎の住み家があったら、水びたしになったうろんなかっこうで夜ふけに通るんだもの、火の番だっても怪しく思って騒ぎたてるに決まっているじゃねえか。しかるにもかかわらず、いっこう、そんなやつの徘徊《はいかい》した訴えが、この奥のどこからもご番所へ届いていねえところをみると、河岸っぷちに住み家があるため、だれにも見とがめられねえんだってことが見当つくじゃねえか。だいいち、何よりの証拠は、この白壁へべたべたとついている足跡をよく見ろよ」
「えッ、ど、どこですか」
「ほら、こことここと、足のかっこうをしたどろの跡が、ちゃんとついているじゃねえか。しかも、松の木の枝の出ている真下に足跡がついているんだから、ここを足場にしやがって、上り下りしたにちげえねえよ」
「なるほどね。おっそろしい眼力だな。じゃ、すぐに踏ん込みましょうよ」
「まあ、そうせくなよ。なにしろ、敬公という人質を取られているうえに、そもそもこのでけえ屋敷なるものが、なにものともわからねえんだからな。細工は粒々、右門様の眼力のす
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング