ごいところと、捕物さばきのあざやかなところをゆっくり見せてやるから、急がずについておいでよ」
 軽く言い捨てながら、ふたたび舟に帰っていったと見えましたが、まもなく船頭に命じてこがせていったところは、なぞの白壁屋敷とはちょうど真向かいになる反対側の岸でした。しかも、舟をそこの葦叢《あしむら》にとまらせると、あかりをすっかり消させてしまって、船頭たちにもそうすることを命じながら、ぴたり船底に平みついて、じっといま来た向こう岸に耳を傾けだしました。

     5

 かくして、時を消すことおよそ小半時《こはんとき》――。もちろん、もうあたりは深夜のような静けさなので、ところへ、やがてのことにいんいんと、風もない初春の夜の川瀬に流れ伝わってきたものは、金竜山《きんりゅうざん》浅草寺《せんそうじ》の四ツの鐘です。と同時に、ぱちゃりと右門の耳を打ったものは、たしかに向こう岸から、だれか大川に飛び入ったらしい水音でした。
「伝六ッ。そら、来るぞ。来るぞ。よほどの怪力らしいから、命を五ツ六ツ用意しておけよ」
「ちくしょうッ、だんなの草香流がありゃ万人力だ。さ、来い!」
 互いにしめし合わせながら、ぴたりと船底に平みついて、いまやおそしと近づくのを待っていましたが、まこと相手はおそるべき水泳の達人でした。いや、おそるべき怪技を有する怪人でした。相当目方があるべきはずなわきざしを鞘《さや》ぐるみしっかと口にくわえて、あざやかな抜き手をきりながら、ご府内名うての大隅田川《おおすみだがわ》を一気にこちらまで泳ぎ渡ってまいりましたので、息をころしながら待ちうけていると、だが、不思議です。じつに不思議です。覆面の小がらなそれなる怪人は、岸へ泳ぎつくと、ぐっしょりぬれた着物からぽたぽたと水玉をおとしながら、まるで何かの物の化《け》につかれてでもいるかのごとく、ひょうひょうふらふらと歩きだしました。それも、尋常普通のふらふらした歩き方ではないので、足のある幽霊がさながら風に乗ってでもいるかのごとく、まっすぐに向こうを向きながら、ふわりふわりと歩きだしましたので、伝六はもとよりのこと、さすがの右門もややぎょッとなっていたようでしたが、やにわとうしろに近づくと、一声鋭く大喝《だいかつ》いたしました。
「バカ者ッ。どこへ行くかッ」
 と――なんたる奇怪さでありましたろう! 右門の大喝一声とともに、ふわりふわりと風に乗ってでもいたかのように歩みつづけていた怪人が、いきなりそこにばたりと倒れてしまいました。その倒れ方がまた尋常ではないので、さながら棒を折りでもしたかのごとく、ポキリとのけぞってしまいましたものでしたから、伝六がくるくると目を丸めながら、何度もなまつばをごくごくのみ下していましたが、ようやく震え声でいいました。
「おっかねえ隠し芸を持っているだんなですね。あっしゃ今まで、だんなの得意は、草香流の柔術と錣正流《しころせいりゅう》の居合い切りだとばかり思い込んでいましたが、いつのまに、どこでこんな気合い術を新しくお仕込みなすったんですかい。まるで雷にでも打たれたように、すっかり長くなってしまったじゃござんせんか」
 しかし、右門ははげしく首を振るといったので――、
「知らねえよ、知らねえよ。おらあ気合い術なんかは知らねえよ。それだのに、どうしたというんだろうな。まるで、妖怪変化《ようかいへんげ》にでも化かされているようじゃねえか」
 けげんな顔をしながら舟龕燈《ふながんどう》をさしつけて、じっとうち倒れている怪人の姿を見調べていましたが、とっぜん意外なことをでも発見したかのごとく、おどろいて叫びました。
「おい、伝六ッ、伝六ッ。こりゃ女だぜ!」
「えッ。ど、どこにそんな証拠がござんすかい!」
「あの胸のところを見ろ! ぬれてぴったり吸いついている着物の下から、ふっくらと乳ぶさの丸みが見えるじゃねえか。念のため、きさまその覆面をはいでみろ!」
「えッ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「えじゃねえ、覆面をはいでみろ!」
「でもだ、だ、だいじょうぶですか」
「いざといや、草香流がものをいわあ。早くはいでみろ!」
 おそるおそる伝六が近よって、こわごわ[#「こわごわ」は底本では「こわごろ」]覆面をはいでいた[#「はいでいた」は底本では「はいでみた」]ようでしたが、と――果然、黒布の下から、妖々《ようよう》として現われ出たものは、まだ二十六、七歳のあだめかしい、根下がりいちょうに結った青白い女の顔でしたから、ふたりが等しく意外な面持ちに打たれているとき、突然でありました。ぱっちりと妖女《ようじょ》がまなこをあけて、夢からさめでもしたかのごとく、きょときょとあたりを見まわしていたようでしたが、そこに右門主従のいたのを見ると、ぎょッとしたように起き上がりながら、あ
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