ろが、その、それがつまりなんでしてね」
「はっきりいいなよ、遊んだことでもあるのかい」
「いいえ、その、なんですよ、去年潮干狩りに行ったとき、おれもこういういきな家で、五、六日しみじみと昼寝をしてみたいなと思いながら通ったんで、ついその今も名まえを忘れずにいるんですよ」
「なんでえい、情けねえ江戸っ子もあったもんだな。じゃ、おれが今から思いきり昼寝をさせてやるから、小さくなってついておいでよ」
「えッ、でも、深川の舟宿といやあ、ちっとやそっとのお鳥目じゃ出入りもかないませんぜ」
「しみったれたことをいうと、みなさんがお笑いになるよ。小さくなって、しっぽを振りながらついてきな」
「だって、肝心のホシゃどうするんですかい。それに、敬公のほうだっても急がなきゃならねえんでがしょう。どぶねずみみてえな野郎にゃちげえねえが、さぞやあいつ今ごろは生きた心持ちもしていめえからね。どっちかを先にお急ぎなすったらどうですかい」
「うるせえな、黙ってろよ。おれがお出馬あそばしているじゃねえか。それより、早く駕籠《かご》を呼んできな」
 命じて息づえをあげさせながら、ゆうぜんと深川さして駕籠をうたせていくと、乗りつけたところは伝六のいったその菱形屋でありました。

     4

 いかさま舟宿としては一流らしい構えで、数寄《すき》をこらしたへやべやは、いずれも忍ぶ恋路のための調度器具を備えながら、見るからに春意漂ういきな一構えでした。
 だから、伝六のことごとく悦に入ったのは当然なことで、七十五日長生きをしたような顔をしながら、あけっぱなしで始めました。
「ほう、ねえ、だんな、座ぶとんは緞子《どんす》ですぜ。また、このしゃれた長火ばちが、いかにもうれしくなるじゃござんせんか。総桐《そうぎり》の小格子《こごうし》造りで、ここにこうやりながらやにさがってすわってみると、お旗本も五千石ぐらいな気持ちだね――ついでだからちょっと念を押しておきますが、まさか本気に昼寝をなさるおつもりで、わざわざこんなところへ来たんじゃござんすまいね。例の右門流をそろそろここでまた始めなさるんでしょうね」
 しかし、右門はいたってすましたもので、そこへ茶道具を運びながら姿を見せた小女に向かうと、ごくきまじめな顔でいいました。
「こいつが舟宿の二階で、しみじみ昼寝をしてみたいと申したによって連れまいったからな、さっそく床を二つとってもらいましょうかな」
 いうと、けげんな顔をしながら、小女のとってくれた床の中へ、自身先にたってさっさともぐりましたものでしたから、いつもながらに鳴りだしたのは雷の伝六です。
「ちぇッ、後生楽にもほどがあるじゃごわせんか。いくらあっしが昼寝をしてみてえといったからって、こんな火のつくように忙しいとき、眠ったって寝られるもんじゃねえんですよ。きのう浅草の支倉屋で買った江戸の絵図面をあっしがこうしてここに気をきかして持ってきているんだから、とっくりご覧なすって、また今夜出そうな町筋を早く見つけておくんなせえな。そうしなきゃ、また指を切られるものがありますぜ」
 まくらもとへあの地図をひろげてしきりに催促いたしましたが、名人の胸中にはなんの成算あってか、すでに悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と夢の国にはいっているらしい様子でありました。それも一刻《いっとき》や二刻の短い時間ではないので、品川浜の海波にほのぼのとして晩景の迫ってきた時分まで、ぐっすり眠りつづけていたようでしたが、と――ようやく起き上がると、そこに寝もやらで、おこりふぐのごとくかんかんになっていた伝六に微笑を送りながら、小女を呼び招いて、ふいっと命令を与えました。
「元気のいい船頭をふたりほど雇うてな、舟足の軽い伝馬船《てんません》を一艘用意してくれませんかな。いうまでもないことじゃが、おいしいものを見つくろって、晩のしたくも整えましてな。そっちにすわっているおこり虫は左がいけるほうじゃから、それも二、三本忘れずに用意しておいてくださいましよ」
 舟遊山ならば屋台船にしそうなものであるが、どうしたことか伝馬船を雇って用意万端の整うのを待ちうけながら、さっさと乗りうつりました。しかも、命じた行き先が不思議です。
「ことによると、墨田の奥まで行くかも知れませぬからな、そのつもりで大川を上ってくださいましよ」
 いいながら、しきりと用意のお料理をおいしそうに用いていたようでしたが、だのに、なにを捜し求めようとするのか、その両眼は絶えず烱々《けいけい》として、川の右岸、すなわち京橋日本橋とは反対側の深川本所側ばかりにそそがれました。それも短い距離ではないので、舟が大川筋にはいると同時から注ぎはじめて、相生河岸《あいおいがし》、安宅河岸《あたかがし》、両国河岸、厩《うまや》河岸と、やがて吾妻《あづま》河岸
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