石町まで行ってみると、もうよりよりそのうわさばかりで、一軒はつくだに屋の主人、一軒は紙問屋の主人がその被害者であったことがわかりましたものでしたから、右門はさっそくに見つかった紙問屋のほうへやって行くと、つくだに屋の主人をそこへ呼び招いて、例のごとくに右門流吟味方法の憲法にもとづき、すぐにまず被害者両名の身がら素姓を先に洗いたてました。いうまでもなく、この奇怪なる犯行が、恨みをうけての結果からであるか、それとも単なる怪魔のしわざであるか、それを調べたので。
 ところが[#「ところが」は底本では「ところか」]、ふたりとも、これが実に善良そのもののごとき、模範市民でありました。つくだに屋のほうは、親孝行のゆえに二度もご公儀から感状をいただいたほどのほめ者で、紙屋の主人にいたってはむしろ善良すぎてお人よしのあだ名があるほどの好人物であることが判明いたしましたものでしたから、しからばとばかり、右門はただちに両名について、犯行もようの調査を開始いたしました。
「紙屋の亭主」
「へえい」
「そちのところを襲ったのは、何どきごろじゃった」
「さよう、九ツ少しまえだったかと思いますがね、少しかぜけでございましたので、いつもより早寝をいたしまして、ぐっすり寝込んでいると、いきなり雨戸がばりばりとすさまじい音をたてて、破れましたからね。はっと思って目をあけてみると、もうそのとき、野郎があっしのまくらもとに来ていやがったんですよ」
「小がらのやさ男だったという話じゃが、そのとおりか」
「へえい、なにしろこわかったので、しかとした背たけはわかりませんでしたが、五尺の上は出ていなかったように思われますよ。お定まりのような覆面でしてね。着物は唐棧格子《とうざんこうし》の荒いやつでしたが、だのに野郎とても怪力でござんしてな、あっしがはね起きようとしたら、やにわに片足で胸のところを踏んづけておきやがって、声もなにも出す暇がないうちに、短いわきざしでこのとおり、左手の親指と人さし指だけを二本根もとからすぱりと切りゃがって、すうと出てうせやがったんですよ」
「なるほどな。では、つくだに屋の主人、そちのほうはどんなもようじゃった」
「わたしのほうもだいたい手口が同じでございますが、ただ一つ妙なことには、どうしたことか、野郎の着物が水びたしにぐっしょりぬれていたんですがね。そのうえ妙なことには、たしかにぷんとその着物のうちに松やにのにおいがしみ込んでいたんですよ」
「なにッ、着物がぬれていて、松やにのにおいがしみ込んでいたとな※[#疑問符感嘆符、1−8−77] まさか、ねぼけていて勘違いしたのではあるまいな」
 と――、話を奪って、紙屋の主人がとつぜんことばをさしはさみました。
「そうそう、あっしも今つくだに屋さんにいわれて思い出しましたが、べっとり胸のあたりまでぬれていましてな、やっぱりぷんと松やにのにおいがたしかにいたししましたよ」
 聞くや同時でありました。名人の眼光がらんらん烱々《けいけい》として輝いたとみえましたが、あの秀麗きわまりない面に、莞爾《かんじ》とした微笑がのると、ずばりいったもので――
「よし、もうあいわかった。おそくも明朝までには必ずかたきをとってつかわすにより、安心して傷養生をいたせよ」
 いうと、それっきり尋問調査を切りあげながら、すでにもうすべての確信がついたもののごとく、静かにあごをなでていましたが、ところへ息せききりながら駕籠を走りつけてきたものは伝六でした。その伝六がまたすばらしい大車輪で、黒門町のほうばかりではなく、前々夜襲われた小日向《こひなた》台町と厩河岸《うまやがし》へまでも回って調べ、本石町での陳述と同様、やっぱり下手人は右三個所を襲ったときにも、たしかに松やにのしみついた水びたしの着物を着用していたという共通な事実をかぎ出してまいりましたものでしたから、聞くやそろそろ始められだしたものは、名人特有の右門流です。なにかにやにやと笑いながら、しきりにあごをなでさすっていたようでしたが、不意と伝六にいいました。
「きさま、深川筋で、どこか舟宿を知っていねえか」
「えッ? 舟宿というていと、よく女の子をこっそりつれて、舟遊山《ふなゆさん》をやりに行くあの舟宿のことですかい」
「ああ、そうだよ」
「ちぇッ、そんなものなら、おめえ知っているかはすさまじいね。はばかりながら、こうみえてもいきな江戸っ子ですよ。舟宿の二軒や三軒知らねえでどうなるもんですかい。深川ならば軒並み親類も同様でさあ。まず第一は菱形屋《ひしがたや》でしょ。この家の持ち舟は屋台が三艘《さんぞう》。つづいて評判なのは一奴《いちやっこ》。それから海月、丁字屋、舟吉《ふなよし》とね、まず以上五軒が一流ですよ」
「ほほう、だいぶ博学だが、遊んだことでもあるのかい」
「とこ
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