は、どのように隠しだていたしましても、いま八丁堀でご評判のあなたさまに、しょせんたち打ちはかのうまいと存じましたゆえ、いよいよ罪に服さねばならぬときがまいりましたら、いさぎよう身を殺しまして、そのかわりに用意のこれなる書き置きをお読みねがうつもりでござりました。それに、生き長らえたままで白状いたしましたら、いくじなきものよとのそしりもござりまするが、わが身を殺すとともにいたす自白ならば、おなごのいささかばかりな操もたちますことゆえ、かくお目前を汚しました。どうぞ、かわいそうとおぼしめしくださりましたら、はようこれなる書き置きをご覧くださりませ」
苦しい息の下からあえぎあえぎ語り終わると、女は用意の一封を右門の手に渡しておいて、ばったりそこへあけに染まりながらうち伏しましたので、右門も今はなんじょうちゅうちょすべき、ただちにその封を押し開きました。見ると、それはさすがに御殿仕えの筆跡もうるわしく、水茎の跡も新しい次のような一文が書かれてありました。
「――秀の浦の下手人は、いかにもてまえでござります。なれども、それには深い子細のあることにござりますゆえ、その子細からお聞きくださりませ。詳しく申せば長い物語で、それももう六歳《むとせ》ほど昔のことでござりまするが、そもそもの事の起こりは、あの美男相撲と評判の江戸錦様がもとでござります。今こそあのかたさまは人もきらう裸|稼業《かぎょう》のお相撲取りに身を落としてでござりまするが、身がらお素姓を申しますれば、由緒《ゆいしょ》正しき五百石取りの旗本|真柄《まがら》権之丞《ごんのじょう》様の、ただおひとりのお落胤《らくいん》にござります。なれども、悲しいことに、そのお腹さまがあまりご身分でない婢女《はしため》でござりましたゆえ、ただおひとりの跡取りでありながらとかくうとんぜられがちなところへ、ふと悪心をいだきましたものはそれなる真柄家へご奉公の用人でござりました。名は大島|弥三郎《やさぶろう》と申しますかたでござりまするが、思いのほかに悪知恵の深いかたでござりましたゆえ、おぞましきことには主家横領をたくらみ、六歳《むとせ》まえにそのときご病身の主人権之丞様を毒殺いたし、みずから遺言書をこしらえつくって、養子の内約あったごとくに装い、りっぱなお血筋の江戸錦様を巧みに放逐いたしましたうえ、まんまと旗本五百石の家禄《かろく》を横領してしまいなされました。なれども、首尾よく主家横領はいたしましたものの、すねに傷もつだけに江戸錦様のいられることは目の上のこぶでござりましたゆえ、これをもついでにあやめようと思いたたれてごくふうなさりましたのが、今日ご不審のもととなった秀の浦とのあの一番でござりました。それというのも、わたしとあの秀の浦とが幼なじみの間がらゆえ、わたしに事情を打ちあけなされまして、秀の浦にあの封じ手を使わするようそそのかしたのでござります。むろんのことに、かようなまわりくどい手段を講じました子細は、土俵の上での殺傷ならば、うまうま犯跡をくらましえられますものと思いましたからでござりまするが、それはそれでよいといたしまして、ご不審が一つおありでござりましょう。と申しますのは、そういうわたしが、なぜにまたそのような悪人の大島弥三郎様から、おぞましい悪事の荷担相談をうけるにいたりましたか、それがご不審でござりましょうと存じまするが、お笑いくださりますな。恋は思案のほかとたとえのとおり、その悪人の弥三郎様を悪人と知りながら、わたしは恋しているのでござります。さればこそ、悪事を悪事と知って、つい罪の深間にはいりましたが、江戸錦様はさすがお血統のかただけのものがござります。あのとき早くも秀の浦の殺意を見破り、あのような番狂わせの相撲となりましたゆえ、口さがない下司《げす》下郎をなまじ生かしておかば、のちの災いと存じまして、わたしが秀の浦をおびき出し、四ツ谷見付の土手ぎわで、おめがねどおりあやめたのでござります。あの印籠《いんろう》はもとよりわたしの細工もの、ちょうど手もとにあの品がござりましたゆえ、さも江戸錦様の持ち物らしく見せかけて、あのような金泥《きんでい》で名まえを書きこみ、あわよくば江戸錦様に罪をきせようためでござりました。もうこれでいっさいがおわかりのことと存じますゆえ、なにとぞお慈悲を持ちまして、悪人にはござりまするがわたしには掛け替えのない心の思い人、大島弥三郎めをご寛大のご処分くださりませ。右あらあら書きしたためたしだいにござります――」
右門は一気に読みくだすと同時に、じっと腕をくんでややしばし思案にふけっていましたが、恋に狂って罪を犯したいたましい女の命が、もうそのとき完全に絶たれてしまっているのを見ると、決然として立ち上がりながら、蝋色鞘《ろいろざや》をがっきと腰にして、ののしるごとくに言い放ちました。
「せっかくだが、大島弥三郎とかいった旗本|奴《やっこ》は、もう見のがしちゃおかれねえや。このかわいそうな腰元の命を取ったのも、けっきょく野郎のしわざのようなもんじゃねえか。さ! 伝六ッ、駕籠だッ、駕籠だッ。今度はほんとうの駕籠だッ!」
「ちぇッ、ありがてえや! もうのがしっこねえぞ!」
伝六が丸くなって表へ飛び出していきましたので、右門はそのまになおこの場にいたっても優しい心がらから、押し入れの絹夜具を取り出すと、ふうわり死骸《しがい》の上に掛けておいて駕籠の用意のできるのを待ち受けていましたが、まもなく伝六の呼びたてる声がありましたものでしたから、時を移さず駕籠にうち乗りました。むろんのことに、命じた先は、旗本屋敷の林立している番町でありました。
5
いつもながら所捜しは伝六が得意で、目ざした番町の内でこそはありませんでしたが、濠《ほり》一つ向こうへ越した市ガ谷本村町のかど地面に、それなる不逞漢《ふていかん》弥三郎が、今、旗本|真柄《まがら》弥三郎に成りすまして、そしらぬ顔に高禄《こうろく》の五百石を私しているということがわかりましたものでしたから、右門はゆうぜんとして駕籠をおりると、おどろき怪しんでいる門番のおやじをしりめにかけながら、ずっと玄関にかかりました。
――と、はいるや同時に、ちらりと右門の目を射たものは、そこの玄関先に不行儀そのもののごとく脱ぎすてられている三足の雪駄《せった》と、それからまだ土のつかない一足のわらじでありました。人が出はいりするために設けられた玄関ですから、雪駄があろうと、わらじがあろうと、べつに不思議も不審もなさそうに思われましたが、右門の観察眼はしばしばいうごとく、少しばかりできが違いますので、早くもそれと見ると、微笑しながら伝六にささやきました。
「あぶねえあぶねえ、いまひと足おくれたら、おれたちもこの寒空に旅へ出かけなきゃならなかったかもしれねえぜ」
「えッ。じゃ、野郎め、事のバレたのをかぎつけやがって、逐電の用意をしているとでもいうんですかい」
「そうさ、この不行儀な雪駄の脱ぎぐあいをまずよく見ねえな。三足が三足ともに、あっちへ一方、こっちへ一方飛び飛びになっているところをみると、どうやらはき主があわてて駆けつけて、あわてて駆け上がったらしい様子だよ。しかも、見りゃどれもこれも印伝鼻緒で、金めらしい二枚裏だからな。おそらく、このはき主ゃ、道楽仲間の悪旗本連だよ。そのうえに、土のちっともつかねえ真新しいわらじが、はくのを待つばっかりでこちらむきにそろえてあるとすりゃ、野郎が逐電の覚悟をつくりゃがって、大急ぎに道楽仲間を呼び寄せたとしきゃ読めねえじゃねえか」
「いかさまね。じゃ、ここで待ち伏せしててやりましょうか」
「ああ。しだいによると、野郎たちダンビラ抜くかもしれんから、十手の用意をしておくがいいぜ」
うまいぐあいに寒竹笹《かんちくささ》の浅い繁みが玄関わきの左手にあったものでしたから、伝六は十手、右門はゆうぜんとふところ手をしたままで姿をかくしながら、様子やいかにと耳をそばだてていると、果然どやどやとあわただしい足音をさせて一刻をも争い顔にそこへ姿をみせた者は、右門のにらんだとおり、ひと目にそれと察しられる三人の旗本と、それから旅装束の一人でありました。念を押してみるまでもなく、旅装束のその小がらのやつが、目ざした不逞漢弥三郎とわかりましたものでしたから、右門はのっそりと両手を懐中にしたままで姿を見せると、満面に莞爾《かんじ》とした笑《え》みをのせながら、黙ってぬうッとその面前に立ちふさがりました。
ぎょッとなったのは、むろんのことに四人の者で、それも立ちふさがった相手が不敵なことに、両手を懐中にしたままでにこやかにうち笑ってさえいたものでしたから、ややしばしぼうぜんと気をのまれたもののようでしたが、ようやくそれと気がついたのでありましょう――、
「さては、きさまが右門じゃなッ。まんまと鼻をあかしてやろうと存じていたが、もうこうなりゃあ水のあわじゃ。それッ、おのおの、ぬかりたもうなッ」
いうや、三人の旗本がいっせいにけしきばむと、期したるごとくにその強刀へ手をかけて、必死に弥三郎をうしろにかばいました。とみるや、右門は期したることではありましたが、できうべくんばけがもさせず、事も荒だてずにとり押えたいと思いましたので、いたってしずかに威嚇いたしました。
「抜くはよろしいが、ちとおん身たちでは手にあまる相手でござるぞ。それでも刃向かいだていたされるか」
しかるに、向こう見ずなやつがあればあるものでした。
「ほざくなッ。義によってせっかく逐電させようと思いたったわれわれ三人じゃ。きさまこそ、たかが不浄役人の分際で、直参旗本を見くびると命がないぞッ」
おろかなところへ旗本風を吹かして、いっせいに抜き放ちながら刃ぶすまをこしらえましたので、右門はゆうぜんとふところ手をしたまま、微笑しいしい三人の太刀《たち》の構えをうち見守っていましたが、と……弥三郎はけっきょく笑止千万な鍍金《めっき》旗本でありました。右門のぶきみなくらいにゆうぜんとしたおちつきぶりを見て、とうてい三人の悪友だけではわが身の安全がおぼつかないと思ったものか、いきなり家の内めがけて逃げ出しましたものですから、もう事ここにいたらば、右門に待たれるものはおなじみのあの草香流のみです。どこか別の出口をたよって遠くへ逐電したらあとがめんどうと思いましたので、おもむろにふところから両手を出すと、ぽきぽきと小気味よげに節鳴りをさせていましたが、もうそれが鳴れば、草香流の物をいうのは実に一瞬のうちのことでありました。
「ちょっくら地獄までいって涼んできなせえよッ」
叫ぶや、刃先の下をかいくぐって、右、左、まんなかと、疾風迅雷《しっぷうじんらい》の早さであっさり三人をのけぞらしておくと、さあ伝六ッとばかりに、弥三郎のあとを追って屋内深く駆け入りました。
ところが、どうもこれが奇態です。先に駆け込んでいったとはいうものの、たった七足か十足ぐらいの相違でしたから、まだどこかに弥三郎がまごまごしていなければならないはずでしたが、天にもぐったか地にもぐったか、不思議とその姿が見えませんでしたから、例のごとくに伝六がまず音をあげてしまいました。
「まるでのみみてえな野郎だね。どこの廊下口も雨戸はちゃんと締まっているんだから、表へ逃げ出したはずあねえと思うんだが、野郎め畳のめどへでももぐったんでしょうかね」
またそう思われるのも無理がないので、出口出口の雨戸は厳重にかぎがかけられたままでしたから、とするならばいきおいまだ屋敷内に潜伏していなければならないはずでしたのに、へやべやを捜してみても、押し入れご不浄までのぞいてみても、どうしたことか杳《よう》としてその行くえがわからなかったものでしたから、とうとう弥三郎をのみにしてしまいました。
その言い方がいかにも伝六らしい比喩《ひゆ》でしたから、右門もほほえむともなくほほえみながら、しきりにあごのまばらひげをまさぐっていましたが、そのときはしなくも捕物名人の耳に伝ってきたものは、ざアざアという水の流
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