をたもとに拾い入れると、もうこれさえ見つかればおれのものだといわぬばかりに、莞爾《かんじ》とうち笑《え》みながらいいました。
「いや、どうもけっこうなおみやげをわざわざお届けくださりまして、ありがとうござんした。だが、いかにてまえがひとり者でも、死人と同居はあまりぞっといたしませんからな。せっかくながら、お持ち帰りを願いますかな。では、失礼つかまつりますよ」
いたって皮肉に言い去ると、あごをなでなでへやの内へ取って返したようでしたが、そこへ伝六が目をぱちくりさせながらやって来たのを見ると、猪突《ちょとつ》に命令を発しました。
「さ、忙しいぞ。きさまこれから大急行でお城まで行ってこい!」
「えッ、お城なんぞに今ごろ何か用があるんですかい。さすがのだんなも、今度という今度は、あのあばたづらにしてやられたんで、退職願いでもしようとおっしゃるんですかい」
不意に御殿へ行ってこいといったものでしたから、いつもながらの伝六がすっかりそれを辞職願いと勘違いしたのも無理のないことですが、しかし右門はポンと大きく胸をたたくと、しかるようにいいました。
「江戸八百八町がごひいきのむっつり右門じゃねえか。退職願いを出すなあ敬四郎のほうだよ」
「じゃ、なんですかい、だんなはまだ勝つつもりでいらっしゃるんですかい」
「おかしなことをいうね。するてえと、なにかい、おまえこそおれが負けるとでも思っているのかい」
「だって、そう思うよりほかにしかたがねえじゃござんせんか。秀の浦の死骸《しげえ》のそばに江戸錦の持ち物の印籠《いんろう》がおっこちていたっていやあ、だれだってもうしっぽを巻くよりほかにしかたがねえんだからねえ」
「あきれたもんだな。じゃ、おまえにきくが、おまえはいったい江戸錦がふたりいると思っているのかい」
「ちぇッ、バカにしなさんな! そんなこと、ひとりにきまってるじゃござんせんか」
「そうだろ。だとしたら、おまえももうちっとりこうになってみねえな。江戸錦が殺した殺したというが、その江戸錦ゃああの相撲が終わるからずっと今まで、敬四郎の野郎がそばにくっついて番をしているはずじゃねえのかい」
「な、なるほどね。大きにそれにちげえねえや。あばたの野郎自身も、たしかにそういいましたっけね。いくら江戸錦を締めあげても遺恨の子細を白状しねえので、四ツ谷見付までしょっぴいていったら、秀の浦の死骸《しげえ》にぶっつかったとは、たしかにはっきりいいましたっけね」
「そうだろ、にもかかわらず、あばたの大将ときちゃ、てめえで本人の張り番をしていたことをすっかり忘れちまっているんだからね。そんなでくの棒のくせに、折り紙つきのこの右門と張り合おうというのは大違いだよ」
「ちげえねえ、ちげえねえ、そのせりふを聞いて、すっかり溜飲《りゅういん》が下がりやした。じゃ、なんですね、だれかほかに下手人があって、そやつが江戸錦に罪をきせるため印籠の細工をしたというんですね」
「あたりめえさ。だから、お城へひとっ走り行ってこいといってるんだよ」
「まあま、待ってください。行くはいいが、お城にその肝心の下手人がいるとでもいうんですかい」
「聞くまでもねえこったよ。おれの目玉が安物でねえ証拠をいま見せてやるから驚くな。下手人は女だぜ」
ずばりと断定するように言い切ると、なにやらごそごそたもとの中を探っていたようでしたが、まもなく右門の取り出したものは、さっきすばやく駕籠の中から拾い取ってしまっておいたあのふところ紙でありました。妙な品物でしたので、伝六は目をぱちくりさせていましたが、右門は莞爾《かんじ》とばかりうち笑《え》むと、それを伝六の眼の前にさしつけながらいいました。
「どうだ、早わざに驚いたろ。まず第一は、この紙ににじんでいる赤い色が二通りになっているから、目のくり玉をあけてよく調べてみなよ」
「いかにもね。こっちのべたべたにじんでいるどす黒いやつア、たしかに血の色にちげえねえが、そっちのちっちぇえ赤い色は、どうやら口紅のあとじゃござんせんかい」
「そうだよ、ふところ紙に口紅のあとがついているとするなら、この紙の持ち主が女であるこたあ確かだろ。そこで、第二はこの紙そのものだがね、おまえのような無粋なやつあ、このなまめかしいふところ紙がなんてえ品物かも知るめえなあ」
「ちぇッ、つまらんところでたなおろしなんぞしなくたってようがすよ。無粋だろうと、ぶこつだろうと、大きなお世話じゃござんせんか。なんてえ紙ですかい」
「これが有名な筑紫漉《つくしずき》だよ」
「へへえ、なるほどね。筑紫漉といやあ思い出しましたが、大奥のお腰元が使うとかいう紙ゃあこれですね」
「そうさ。だから、これでこのふところ紙の持ち主ぁ女で、しかも大奥のお腰元だっていうことがわかったろ。しかるにだ、まだ一つおれでなくっちゃ見破ることのできねえネタがあるんだが、さっき秀の浦の傷口を調べてみたら、あれあおまえ、だんびらやわきざしの切り傷じゃなくて、たしかに懐剣の突き傷だったぜ」
「そうですか、わかりやした、わかりやした。じゃ、ほんとうの下手人は、大奥の女中の中にいるからしょっぴいてこいというんですね」
「そのとおり。だが、おまえ、ただどなり込んでいったって下手人は容易にゃ見つからねえはずだが、どうして本人をしょっぴいてくるつもりかい」
「ちぇッ。こう見えたって、だんなの一の子分じゃござんせんか。はばかりながら、見当はもうついていますよ。だんなはお忘れなすったかもしらねえが、あの結び相撲のときに、お腰元の中からしきりと秀の浦へ声援したやつがあったじゃござんせんか。あいつを捜し出してしょっぴいてきたら、よし下手人でなかったにしたって、何か目鼻がつくでがしょう」
「偉いッ! そのとおりだが、まだ一つ忘れてならんことがあるぞ。きっと、あの時刻に外出をしたやつがあるはずだからな。いたら三人でも五人でもかまわねえから、みんなしょっぴいてきなよ」
「がってんの助だ。自慢じゃねえが、こういうことああっしの畑なんだから、あごでもなでなで待っていなせえよ」
威勢よく伝六が駆けだしていったものでしたから、ここにおいてむっつり右門はほんとうにあごをなでなで、その帰りを待つこととなりました。
4
かくして、時を消すことおよそ小半刻《こはんとき》――。
「だんなだんな、大てがらですぜ。ホシの女《あま》しょっぴいてきましたから、さ、とっくり首実検をなせえましよ」
叫びながら伝六が表玄関に威勢よく駕籠《かご》をのりつけて、鼻高々とひとりの御殿女中を引ったててまいりましたものでしたから、右門はおもむろに短檠《たんけい》のあかしをかきたてると、まずそれなる女の首実検に取りかかりました。
ところが、それなる腰元がまた、こはそもなんと形容したらよいのか、まるでいもりのようなあくどさを備えた女でありました。わけても、そのくちびるにこってり塗られた口紅の赤さというものは、さながらいもりの赤い腹のごとき毒々しさを示していましたものでしたから、さすがの右門もちょっと毒気に当てられぎみで、ややしばしまゆをひそめていたようでしたが、やがて威厳を持った重々しいことばが、ずばりとその口から放たれました。
「すなおに白状すればそのように、強情を張らばまたそのように、相手方しだいによって変通自在の吟味をするのが右門の本領じゃ。いったんてまえの目に止まったら、おしでも口をあけさせないではおかぬによって、そなたも心してすなおに白状なさるがよいぞ。お名はなんと申さるるか」
実際またむっつり右門の名まえを聞いているほどの者でしたら、事実右門がみずから折り紙をつけたとおり、変通自在|慧眼《けいがん》無類、この世にかれの明知と眼力の届かない者はないはずでしたから、その、出方しだいによってはずいぶん慈悲もいとわないといわぬばかりのことばを聞けば、たいていの者が恐れ入るべきはずでしたが、このくちびる赤き毒の花は、あくまでも、われらの捕物名人むっつり右門の烱眼《けいがん》をおおいくらまそうとしたものか、反対に食ってかかりました。
「いっさい白状せぬというたらなんとなさりまするか」
「ここで白状させてお目にかけまするわ」
「ま、自慢たらしい。こことおっしゃりまして、お偉そうにおつむをたたきなさいましたところをみますると、知恵で白状させてみせるとおっしゃいますのでござりまするな」
「さようじゃ。頭をたたいてここといえば、知恵よりほかにないはずでござる。それも、右門の知恵袋ばかりは、ちっとひとさまのとは品物が違いまするぞ」
「あなたさまの知恵袋とやらが別物でござりまするなら、わたしの強情も別物でござります。いま道々聞けば、秀の浦とやらを殺害の嫌疑《けんぎ》でお呼び立てじゃそうにござりまするが、わたしも二の丸様付きの腰元のなかでは人にそれと名まえを知られた秋楓《あきかえで》、いかにも知恵比べいたそうではござりませぬか」
「ほほう、なかなか強情なことを申さるるな。では、どうあっても、秀の浦をあやめた下手人ではないと申さるるか」
「もとよりにござります」
「でも、あの御前|相撲《ずもう》がうち終わってからまもなく外出をしたことは確かでござろうがな!」
「確かでござりまするが、それがいかがいたしました」
「いかがでもない。これなる伝六へあの時刻ごろ外出をしたものがあったら、三人五人と数はいわずに皆連れてまいれと申したところ、そなたひとりだけを召し連れて帰ったによって、そなたに下手人の疑いかかるは理の当然でござらぬか。それに、第二の証拠はこのふところ紙じゃ。見れば、そなたの内ぶところから顔をのぞかせている紙もこれと同じ品じゃが、それでも強情を言り張りますか!」
「えッ!」
ぎょッとしながら、あわててそれなる秋楓といった御殿女中がふところ紙に手を添えたとたん!――まことに疾風迅雷《しっぷうじんらい》の早さでありました。右門があけに染まった証拠のふところ紙を右手に擬して、やにわに女の身近へにじり寄るや、判でも押し取るようにその紙切れを毒々しい紅殻《べにがら》染めのくちびるへ押しつけたと見えましたが、そこに古い紅跡と新しい紅跡が二つ並んで押されたのを知ると、女の心を突きえぐるようにいい叫びました。
「人のくちびるは千人千色、似たのは二つとないはずじゃ! しかるに、この二つの紅跡は、小じわの数までそっくり似ているではないか! これでもまだ右門と知恵比べすると申さるるか! たわけものめがッ!」
まことに右門ならでは考えつかぬ意表を突いた証拠攻めですが、いわれたとおり新旧二つの紅跡を比較すると、げに小じわの数までが似たりも似たり、寸分たがわぬ一つのものの相似を示していたものでしたから、ここにいたって、いかに強情がまんの腰元もついに自白を余儀なくさせられたかに見られましたが、がぜん事件はそこから意外な結果を呼びまねきました。女が首筋までも青々と血色を失って、毒々しいそのくちびるをわなわなと震わせながら、なにやらもじもじとふところの中で片手を動かしていたようでしたが、実に彼女もまた電光石火の早さでありました。すでにここへ来るまえから隠し持っていたものか、ぎらり懐剣を抜き放ったかと見るまに、右門ほどの早わざ師ですらも止めるいとまのないほどの早さで、ぐさりとおのが乳ぶさに突き立てましたものですから、さすがの右門もあっと驚いて、殺してならじとその手を押えながら、ののしるごとくにしかりつけました。
「早まったことをいたしてなんとするか! すなおに申さば、ずいぶんと慈悲をかけまいものでもなかったのに、死なば罪が消えると思うかッ」
「いえいえ! 罪からのがれたいための自殺ではござりませぬ! 罪を後悔すればこそ、覚悟のうえのことにござります。それが証拠は、この内ぶところに書き置きがござりますゆえ、ご慈悲があらば今すぐお読みくださりませ!」
「なに、書き置き※[#疑問符感嘆符、1−8−77] では、もしこの右門を言いくるめえたら格別、かなわぬときは自殺しようと、まえから用意してまいったのか!」
「
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