方向への急転直下を始めかけましたので、捕物名人の全知全身は急激に緊張の度を加えて、見るまに両のまなこがらんらんと活気を帯びてまいりました。と同時に、その記憶の中へ、ぴかりと電光のごとくにひらめき上がったものは、朝ほど買い物にいったとき、生島屋の店先でふとかいま見た若主人陽吉の美男ぶりでした。いや、美男ぶりのその記憶よりも、あのとき、はしなくもみせた陽吉の女にも見まほしいほおの赤らみとはにかみでした。
こりゃ思わぬ色っぽい捕物になりそうだなと思いましたので、右門は語をついで尋ねました。
「しからば、雪舟は何がゆえに盗みとったのじゃ」
「それがあっしの苦心なんですよ。だんなはさっき、バカの小知恵とおっしゃいましたが、あっしとすりゃあれを盗むのがいちばん近道と思いやしたからね。さればこそ、一生一度の盗みもしたんですが、それってものは、あのろうそく屋の長兵衛めがちっと気にいらねえ癖があってね。いま手もとに集めている書画の掛け物はおおかた二、三百幅もあるんでしょうが、一本だっててめえが金を出して買った品はねえんですよ」
「では、いずれも盗みとった品物じゃと申すのか」
「いいえ、もっと根のふけえやり口で巻きあげるんですがね。ひとくちにいや、みんなゆすり取るんですよ。そのゆすり方ってものがまた並みたいていのゆすりようじゃねえんだがね、どこかにいい幅のあることを耳に入れると、しつこくその家をつけまわして、何かそこの家の急所になるような秘密とかあら捜しをやったうえに、うまいこと巻きあげちまうんですよ。だから、生島屋のこの雪舟にしたって、やっぱりその伝でね、こないだ長兵衛がこいつをくれろといって、ゆすりに来たと小耳へ入れたものだから、長兵衛がくれろというからにゃ、何か生島屋の急所となる秘密かあらを握ってからのことだろうと思いやしたので、もしかすると、おれのにらんでいる急所じゃねえかと思ったところから、こいつを盗み取らば、自然事が大きくなって生島屋のほうでもあわてだすだろうし、長兵衛のほうでもゆすりの種をなんかの拍子に明るみへさらけ出さないもんでもあるまいと思って、ちっとまわりくどい方法でしたが、ためしに盗んでみたんですよ」
いっさいのなぞがその陳述によって解きあかされましたものでしたから、右門の全能力はここに戛然《かつぜん》と音を発せんばかりに奮い起こりました。第一はその侠気《おとこぎ》です。一介の市人鳶頭の金助ですらが、かく侠気からあえて盗みをも働いたというのに、それほどの奇怪至極な秘密を聞き知って、われらの義人むっつり右門が黙視のできる道理はないはずでしたから、凛《りん》として言い放ちました。
「よしッ。おれがそのからくりをあばいてやらあ。さ、伝六ッ。ちっとまたおめえには目の毒になることを見せなきゃならなくなったから、しっかりと了見のひもを締めておきなよ……じゃ、参ろう、駕籠《かご》だッ」
たちまち伝六が二丁をそこにそろえましたので、右門は雪舟をこわきにしながら、時を移さずに、飛びのりました。
4
時刻はすでに四ツを回って、普通ならばとっくに寝ついているべきはずでしたが、昼の大売り出しの勘定がつかないとみえて、まだ生島屋ではいずれもが起きていましたので、右門はかって知った内玄関のほうへ駕籠を乗りつけると、案内も請わずにずかずかと門内へはいっていきました。
と……そのときはしなくも耳を打ったものは、そこの勝手わきの井戸ばたで、じゃぶじゃぶと洗い物をでもしているらしい水の音でした。昼のせんたくならばけっして右門とて不審はいだかなかったが、この夜ふけにないしょがましい洗いすすぎは、いかなる微細なことをも見のがし聞きのがしたことのない捕物名人にふと不審をわかしましたので、突然襲い入るように井戸ばたへ回っていきました。
見ると、洗いすすぎをやっていたものは生島屋の下女でしたから、右門はのぞき込むようにしてきびしく尋ねました。
「品物はなんじゃ」
「えッ、た、たびでございますよ」
「なに、たび……! だれのたびじゃ」
「若だんなさまがたのたびでございます」
「どれ、みせろ」
取りあげてみると奇怪です。男のはくべき黒のほうがわずか八文七分で、女のはくべき白のほうが、なんとばかでかい足のことには十文半もありましたものでしたから、仁王《におう》様のおつれあいででも用いるたびなら格別、大和《やまと》ながらの優にやさしい女性に十文半の大足は、不審以上に奇怪と思いましたので、右門は時を移さず奥へ通ると、そこにねこぜを丸めながら、しきりと金の勘定に夢中だった七郎兵衛に向かって、こわきの雪舟を投げつけるようにしながら、ずばりといいました。
「そら、のぞみの品じゃ。よく改めろ」
「あっ、たしかに見覚えの雪舟でござりまするが、この変わり方はどうし
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