ほうがいたしたことじゃから、ただの盗みではあるまいと存じおったが、では、雪舟を盗みとって金にでも引き換え、ないしょにみつごうというつもりじゃったのじゃな」
「めっそうもござんせんや。だから、よくお聞きなせえましといってるんですよ。あっしががらにもなく侠気を出してこの品を盗みとったなあ、そんなちっぽけな了見からじゃねえんですよ。ピンが出るか、ゾロが出るか、生島屋の身上を目あてに賭《か》けて張った大勝負でさあ」
「なに、生島屋の身代……? では、なんぞあの一家には秘密な節でもあると申すか」
「ある段じゃござんせぬ。だんなもとっくりお考えになったらおわかりでござんしょうが、唐《から》や天竺《てんじく》の国なら知らぬこと、おらが住んでいるこの国じゃ、どこの家へいっても、兄貴があったら兄貴へ身代を譲るのが昔からのしきたりじゃござんせんか」
「しかり、それでこそ豊葦原《とよあしはら》瑞穂国《みずほのくに》が、ご安泰でいられると申すものじゃが、そうすると、なにか、あれなる七郎兵衛とか申すのが、兄をさしおいて、なんぞよこしまなことでもいたしおったのじゃな」
「ではないかと存じましてな、あっしが雪舟でちょっと細工してみたんでがすが、どこの家へいったって兄がありゃ兄に家督を譲るのがあたりめえなのに、どうしたことか、あの生島屋っていううちには昔から妙な言い伝えがごぜえまして、子どもがふたり以上生まれたときにゃ、その成人を待って嫁をめとり、そのせがれたちの設けた孫のなかで、男の子を産んだものに、次男だろうと三男だろうと、うちの身代を譲るっていう変なしきたりがあるんですよ。だから、今の大だんなの七郎兵衛さんと、ご沈落しなさっている兄の八郎兵衛さんと、このおふたりが成人なすったときにも、先代の親ごさんていうのがさっそく言い伝えどおり、それぞれむすこさんにお嫁をめとらしたんですがね。するてえと、ご運わるく兄の八郎兵衛さんには女のお子ども衆が生まれ、弟の七郎兵衛さんにはまたご運よくもあの陽吉さんていう男の子どもが生まれたんでね、代々の家憲どおり、七郎兵衛さんが兄をさしおいて、今の生島屋の何万両っていうご身代を、ぬれ手でつかみ取りにしちまったんですよ」
「なるほど、わかったわかった。そうすると、なんじゃな、その七郎兵衛の設けた陽吉っていう男の子どもが少し不審じゃと申すのじゃな」
「へえい。いってみりゃつまりそれなんですが、どうもいろいろとおかしい節がごぜえましてね」
「どのようなことじゃ」
「第一はお湯殿でごぜえますが、男の子ならなにもそんなまねしなくてもいいのに、どうしたことか陽吉さんは昔からひとりきり、別ぶろへへえりなさるんですよ。それも、四方板壁で、のぞき窓一つねえっていう変なお湯殿なんでね。だから、妙だなと思っているやさきへ、今度陽吉さんがおめとりなさった嫁っていうのが、どうもおかしなしろものなんですよ。だんながたはご商売がらもうご存じでごぜえましょうが、日本橋の桧物町《ひものちょう》に鍵屋《かぎや》長兵衛《ちょうべえ》っていうろうそく問屋があるんですが、お聞き及びじゃござんせんか」
「ああ、存じおる。名うての書画気違いと聞き及んでいるが、そのおやじのことか」
「さようさよう、その書画気違いのおやじでごぜえますよ。そいつの娘がつまり陽吉さんのお嫁さんになったんですが、奇妙なことに、その鍵屋にはふたり子どもがあっても、みんな男ばかりで女の子はねえはずだったのに、生島屋とのご婚礼まえになってから、ひょっくりと女の子がひとりふえましてね。そのふえ方ってものがまた妙なんで、今まで長崎のほうの親戚《しんせき》へ預けてあった娘を呼びよせたってこういうんですが、それはまあいいとして、そのかわり今までふたりあった男の子どものうちの、弟むすこってほうが、女の子のふえるといっしょに、ひょっくり消えてなくなったんですよ。長兵衛のいうには、長崎のその親戚へ女の子の代わりに次男のほうを改めてくれてやったと、こういってるんですがね。いずれにしても、男がひとり消えてなくなって、そのかわり女の子がひょっくりとひとりふえてきたんだから、もしや、と思ったんですがね」
「では、なんじゃな、そこに何か細工があって、若主人の陽吉は実際は女であり、嫁に来たろうそく問屋の娘っていうのが、もしやほんとうは男であるまいかと、こういう疑いがわいたと申すのじゃな」
「へえい、あっしだけの推量なんでごぜえますが、陽吉さんの別ぶろのことといい、ろうそく問屋の次男坊の見えなくなったことといい、なんかうすみっともねえ小細工しているんじゃねえかと思うんですよ」
なんぞ深い子細があっての盗みだろうとはすでに見きわめがついていましたが、七郎兵衛一家の上に、陳述のような疑雲がかかっているとするなら、ここに事件は意想外な
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