「だって、火事でもねえのに、そんな人騒がせのことを叫んだら、のされちまいますぜ」
「八丁堀の右門様がどなれとお命じになってるんだ。――いいか、そら、一二三!」
 なにごとか成算のあるもののごとく、右門が一二三と合い図をしたものでしたから、そういうこととなると特別大好物な伝六です。
「火事だア。火事だア。お隣が大火事だア」
 右門の叫ぶ声に合わせて、必死と伝六も叫びました。なにしろ、宵《よい》のうちからひゅうひゅうとからッ風が吹き荒れて、今晩あたり出火したら、と大びくびくのところへ、場所もあろうに鳶頭《とびがしら》金助の家の前で、お隣が大火事だア、とばかり大声でどなったものでしたから、なんじょうあわてないでいられましょう! 刺し子をまとって用意をしていたいなせの若者が、どやどやと金助の家から飛び出しました。
 と――、そのあとから商売がらにも似合わずに大狼狽《だいろうばい》で、血色を失いながら駆けだしたものは、だれあらぬ鳶頭の金助自身でありました。けれども、飛び出しながら金助のけんめいにひっかついでいたものは、なにかとおぼしめす?――これぞ、笑止というか、こっけいというか、それとも当然なことというか、あの先ほど右門が不審を打った、四本の新しいからかみふすまの一本でありました。――まことにいつもながら捕物名人の、いわゆる右門流は、人の意表をつくことかくのごとく、また、水ぎわだってあざやかなことかくのごときものばかりでしたから、三嘆これ久しゅうしてもほめきれないぐらいでしたが、隣が火事とききつけ、まっさきにふすまをかつぎ出したことは、いうまでもなくそのものが第一番に貴重な品であることを問わず語りに物語っていましたので、最初から四本のふすまを怪しとにらみ、そのうちのいずれに秘密の細工をしてあるか労せずしてそれを看破しようと、かく奇計をめぐらしてその思うつぼに相手をおとしいれた右門は、早くもそれと知るや、例の十八番草香流やわらの一手で、ぐいと金助の腕をねじあげておきながら、莞爾《かんじ》とうち笑みうち笑みいいました。
「火事に慣れないものなら、仏壇と石うすをまちがえてかつぎ出すということもあるが、おあいにくさまにきさまは鳶頭だったんで、あわてましたと申し開きのできないことがおきのどくだな。――苦心して罪を隠そうとしたてめえの手品の種をあかしてやるから、さ、来い!」
 ぐいぐい
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