者が忍び込んで持ち出さないかぎり、あるいは雪舟の名画に足がはえて、自分からひとりでにどこかへ姿をかくしてしまわないかぎり、まことに奇怪至極、不思議千万な盗難事件というべきでした。
けれども、このくらいな盗難事件に出会って、たわいなくあわを吹くようなむっつり右門だったら、だいいち伝六の、おらのだんな、おらのだんなと称して、ああも人に自慢するはずはないわけです。さればこそ、右門は例の秀麗きわまりない眉目《びもく》に、観察の深さを物語る一文字のくちびるをきりりと引き締めて、しきりとそこに掛けられてある床の新画を見ながめていましたが、ふふん、というような微笑をみせると、やぶからぼうに尋ねました。
「見れば、この新画の落款には栄湖としてあるようじゃが、栄湖というのはあの四条派の久和島栄湖であろうな」
「へえい。新画番付では三役どころの画工だそうにござります」
「すると、相当な値ごろのものじゃな」
「へえい。よそから祝儀にいただいて値ぶみをするのも変なものでござりまするが、安い品ではござりませぬ」
「では、箱ぐらいついていそうなものじゃが、どうしたことか、これは無箱のようではないか」
「いいえ、無箱ではござりませぬ。ちゃんと箱に入れて持ってきてくれたのでござりまするが、途中でまにあわせに買いととのえたもので、まだ箱書きがしてございませんからと申しまして、鳶頭が箱だけを――持ち帰ったのでござりまするよ」
と、――聞くや同時に、右門のまなこが、期したる答えに接したもののごとく、きらきらと輝きを帯びてまいりました。いや、ただにまなこが輝きを帯びてきたばかりではなく、すでにいっさいの解法がついたかのごとくに、莞爾《かんじ》とうち笑《え》んでいましたが、ややことばを強めると、七郎兵衛をおどろかすように尋ねました。
「盗まれた雪舟は、たぶん尺二でござったろうな」
「へえい、そ、そうでござりまするが、どうしてまた、そんなことがおわかりでござりまするか」
ぎょっとなったように七郎兵衛がきき返しましたので、右門はふたたび莞爾《かんじ》とうち笑んでいましたが、がらりと調子を変えると、ようやくむっつり右門本来の面目に立ち返ったといわんばかりで、おそろしく伝法に、おそろしく切れ味のよろしい啖呵《たんか》をずばりときりました。
「おれの名は、二度も三度も念を押して聞いているじゃねえか。むっつり右門
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