いえ、そのことならばよう存じてござります。つい十日ほどまえの晩がたでござりましたが、お師匠さまのお使いで浅草へ参りましたのに、どうしたことやらお帰りがおそうござりましたので、わたしがあそこの門前へ出てお待ちしておりましたら、衣までまっかになさって、よろよろしながら帰ってまいりますると、いきなりわたくしの足もとへばったり倒れたのでござります」
「ほう。では、そのときお兄いさまはどこぞ切られておいでなすったのじゃな」
「はい、肩のところを大きくぐさりと切られてでござりました」
「肩をのう。それで、そなたはどういたしました」
「だから、いっしょうけんめい傷口のところを押えて、お兄いさまお兄いさまと呼んでさしあげましたら、くまにやられた、くまにやられた、とこのように、たったふたことおっしゃっただけで、それっきりもう極楽へいんでしまわれました」
「なに、たったふたこと? では、どこでそのくまに会うたかもいわずにいんでしまわれたというのでありますな」
「はい、よっぽどおくやしそうだったとみえて、息が絶えてしまうときにも、お兄いさまはお目々にいっぱい涙をためてでござりました」
「おかわいそうにのう、そなたもさぞお力おとしでありましたろう。――では、それゆえ人間のくまじゃやら、けだもののくまじゃやらわからぬけれど、お兄いさまのかたきを討つために、ああして毎日、つり鐘と剣術のおけいこをしていなさるのじゃな」
「はい。如来《にょらい》さまの教えのうちには殺生戒《せっしょうかい》とやら申すことがあるんじゃそうにござりますけれど、わたくしとふたりできんとんをないしょにいただいたほかには、なに一つわるいことをせぬあんなおやさしいお兄いさまですもの、くやしゅうてなりませぬ」
言い終わると、少年僧はじいっと空をみつめて、太鼓を打つことがじょうずだったというその兄僧が、どんなに自分にとってやさしくなつかしい存在だったかを新しく思い出しでもしたかのように、きらきらとまたまつげをしずくにぬらしました。
2
――右門は逐一のその陳述を聞いてしまうと、ややしばし腕を組みながら、じっとまなこを閉じて、なにごとかを考えつづけていましたが、だんだんと不審な徴候をみせだしました。第一はその沈思黙考の時間が珍しく長引いたことです。第二にときどき立ち上がって腕を組んだまま、みしりみしりと廊下を歩きだ
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