したことです。第三はいつにない困惑の情を見せて、いくたびもふうっと大きなためいきをついたことでありました。
それらのどれもこれもが、あの事件に当たってつねに推断の早きこと神のごとく、明知の俊敏透徹たること古今に無双というべきむっつり右門にしては珍しすぎることでしたから、いかにも不審といわなければなりませんが、しかしひるがえって、よくよくこれを右門とともにわれわれも考えてみるとき、かれがかくのごとくに思い悩むのは、一面また無理のないことというべきでした。
なぜかならば、そこに材料として提供されているところのものは、あまりにも少なすぎたからです。各自が胸に手をおいて考え直してみてもわかることですが、ただひっかかりとなりうべきものは、それなる非業の凶刃に倒れた兄少年僧の断末魔のときに叫び残したことばのみがあるばかりでありました。くまにやられた、くまにやられた、というそのたったふたことがあるのみでした。しかも、そのくまなるものが人間の名まえのクマであるか、あるいはけだもののクマであるか、事実はいたずらなるなぞを残したままで、本人とともに遠く幽明境を異にしたあの世へいってしまっているんですから、これはいかにむっつり右門が神人に等しい無双の捕物《とりもの》名人であったにしても、死人をふたたび蘇生《そせい》さすべきすべでも知っているか、でなくば自身|冥土《めいど》まで聞きに行ってくる切支丹《きりしたん》伴天連《ばてれん》の秘法でも心得ていないかぎり、推断に苦しむのは当然なことというべきでありました。
けれども、そういうとき右門には、忘れてならぬ最後の手段がまだ一つあるのです。こんなふうに考えのつかないときや、容易に推断の下せないときは、これまでもしばしばその手を用いましたからむろんご記憶のことと思いますが、ほかでもなくそれはあの碁盤に向かうことなので、だからかれはふと思いつくと、重そうに床の間から愛用のそれなる一式を持ち出して、端然と正座しながら、心気をその一石にこめるごとく、音もほがらかにピシリと石を打ちました。
と――、まことに効果はてきめんとでもいうべきでしたか、一石打ちおろすやいなやに、突然にやにやと笑いだしながら、つぶやくようにいいました。
「なんでえい。とんでもねえだいじなことを忘れてるじゃねえか」
それもたちまちいっさいの氷解がついたもののごとくに、とんだ
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