、伝六の目をむいたこと――。
「ちくしょうッ、おれさまをひょうげた野郎とほざきゃがったな!」
いうと同時に、手なれの十手をぴたり及び腰に擬しました。
だが、われらのむっつり右門は、仕掛けの壁をうしろにやくして、ごく泰然自若たるものです。なるべくならば血ぬらさないで、身ぐるみ丸取りにしようと思いましたものでしたから、仙次の腕やいかにと静かにその体へ目を配りました。見ると、浪花表の凶賊と誇称されている八つ化け仙次も、江戸まえの捕物名人むっつり右門の目にかかってはまことにたわいもないので、その小手先に歴然たる大きなすきがあったものでしたから、右門のとっさに抜き取ったるは奥義の手裏剣! 石火の早さでひゅうと飛んでいくと、ぷつりと小手にささりました。と同時に、肉をえぐる痛さで、ぽろり仙次がわきざしを取り落としたものでしたから、飛鳥のように体へはいると、血にぬれたその手をぎゅっとねじ上げたものはおなじみの草香流です。
「バカ野郎! みい! 痛いめに会うじゃねえか!」
いっしょに莞爾《かんじ》としたもので――、
「さ、伝六! くくしあげろ」
そして、その捕縛を命じておくと、なにより香箱の行くえをと、右門はただちに仕掛けの壁をあけるべく、巨細《こさい》にその構造を点検いたしました。
と――その目に映ったものは、床柱の横にぽっちりとみえた節のごとき一個のポチです。こころみにそれなるポチを押してみると、果然土壁は、からくり仕掛けの龕燈《がんどう》返しに、くるりと大きな口をあけました。見れば、いうまでもなくそのうしろには抜け裏がありましたが、それよりも右門の鼻をゆかしく打ったものは、そこのたなの上にある桐《きり》の小箱から発する異香のかおりでしたから、もう以下は説明の要がないくらいで、案の定それなる桐の外箱の中には、南蛮渡りの古金襴《こきんらん》に包まれて、その一品ゆえに若者清吉をして首をくくらし、遊女薄雪をして単身敵の胸中に入らしめた、豊太閤ゆかりの遺品と称する香箱が秘められてありました。だから、遊君薄雪のおどり上がったのは当然なことで――
「まあ! うれしゅうござります! うれしゅうござります!」
品物をうけとるやいなや、処女のごとき喜びをみせて、かきいだき占めたものでしたから、右門はなすがままにまかせながら促しました。
「では、早いこと清吉どんに、うれしい顔をみせてあげなさいましよ」
「はい、もうどこへでも参ります。お連れしてくんなまし」
すでにかいがいしい旅のしたくをととのえて立ち上がりましたものでしたから、右門はくくしあげられている八つ化け仙次に、いやがらせを一ついいました。
「江戸のならずものは、ちっと手口が違うだろ。どうだ、少しは身にこたえたかい。くやしかろうが、きさまの手いけの花も、ついでに憎い恋がたきのところへみやげにするぜ」
仙次は、いまいましそうに歯ぎしりしたが、むろんもうこれは手遅れなので――その歯ぎしりしたままのやつを、右門は道の途中の自身番へ投げこんでおくと、一路急いだところは八丁堀の組屋敷です。おどろいたのは清吉ですが、自分ではなに一つ密事も打ちあけなかったのに、右門が僅々《きんきん》一日の間で、胸中を読むこと鏡のごとく、おのれのほしいもののことごとくをそこにみやげとしながら携えかえったものでしたから、前後も忘れて薄雪に取りすがりました。右門はそれをここちよげに見守っていましたが、そのときふと思いついたので、まさにふたりの激発せんとしている愛情をせきとめながら、薄雪に尋ねました。
「そうそう、聞こうと思ってつい忘れていたが、あんたはまたなんで、あんなに達磨《だるま》なんかがお好きじゃった」
すると、薄雪はほんのりほおへ紅を散らしたと見えましたが、ちょっと意外なことをいいました。
「今まで三年ごし、どなたにも申しませんだが、だんなさまだから申します。実は、わちきのくるわへ身を売りましたのは、人さまのように、親のためや、恩をうけた主人のためではござりませぬ。もともと生まれおちるからの親なし子でござりましたのを、さるご親切なおかたさまに拾われて成人しましたが、人のうわさに、くるわはおなごにいちばんの苦界と聞きましたゆえ、すき好んでわれとわが身をその苦界に沈めたのでござります」
「それはまた珍しい話を聞くものじゃが、どうしてまた苦界と知って、われとわが身をお沈めなさったのじゃ」
「くるわはおなごの操のいちばん安いところと聞きましたゆえ、その安いくるわでどのくらいまでおなごの操を清く高く守り通されるかためすためでござりました。さればこそ、達磨大師の、面壁九年になぞらえて、わちきも操を守るための修業をしようと、朋輩《ほうばい》からさげすまれるほど、あのようなひょうげたものの姿を身のまわりにつけていましたが、お恥ず
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