さるそうだが、あんたは江戸に、ご家人の右衛門介《うえもんのすけ》っていうならずもののあっしがいることお耳にゃしなかったかね」
 みずから無頼漢と名のる妙な男がぬうとはいってきて、いかにも度胸がよさそうに、いきなりくるりとひざをまくりながら、気味わるくにたりにたりとやって、突然八つ化け仙次とずぼしをさしたものでしたから、相手はおもわずぎょっとなったようでしたが、いっこうにおちつきはらっているのは右門です。度胸のよさがどの程度のものかわからないといったように、にたりにたり笑いながら、ますます伝法なことばをつづけていきました。
「いや、不意にとび込んできたんだから、びっくりなさるなあ無理ゃござんせんがね。なあ、八つ化けの仙次さん、あんたは見くびってのことかしらねえが、江戸のならずものぁ贅六《ぜいろく》のぐにゃぐにゃたあ、ちっと骨っぷしのできが違ってますぜ。聞きゃ清公をおどかしつけて香箱をまきあげ、あまつさえそこにいるあっしにゃ妹分の薄雪をしつこくつけまわっていなさるというが、こうと聞いちゃあとへ引かねえご家人の右衛門介が、わざわざお越しなすったんだ。ね、おい、八つ化けさん、すっぱり気よく色をつけてもらおうじゃござんせんか」
 いいながら、しきりとじろじろあたりを見まわしました。実は、このじろじろとあたりを見まわしたのが右門流の手なんで、それというのはあの香箱をどこにかくまってあるか、それが第一の懸念だったからです。召し取ることはよいが、相手も相当名を売ったやつなんだから、もし刀にものをいわせるようなことになって、そのまま命を奪ってしまうようなことになれば、せっかく虎穴《こけつ》に入って、貴重な虎児《こじ》を取り逃がしてしまったのでは、また捜し出すまでの手数がいると思われましたものでしたから、召し取るまえにその隠匿個所をつき止めておこうと、そのためにありもせぬご家人の右衛門介にまで化け込んで、何かと時を引き伸ばしながら、じろじろとへや内を見まわしたのでしたが、しかしこういう場合、その目のつけどころがまたあくまでも右門流です。たいていの捕方《とりかた》だったら、品物が品物だからおそらくたんすか長持ちといったような貴重品の入れてある家財道具に着目すべきところを、右門は例のごとくその逆のからめてをたどって、なるべくなんでもなさそうなところ、くだらないちょっとしたところというような個所にばかり、鋭い視線を働かせていきました。
 ――と、はしなくも、その鋭い視線のうちにいぶかしくも映じたものは、床の間の隣の妙な壁です。本式な床なら格別、普通の略式なお座敷であったら、まず一間の床があって、その隣にはからかみ二本の押し入れでもが設けられてあるのがあたりまえですが、しかるに、それなる茶の間の奥の座敷を見ると、床は床であってもその床の隣の押し入れであるべきところが、妙なことに出っ張った土壁なのです。引っ込んだ土壁ならばまだよろしいが、壁をもってふさいだ押し入れのように、そこの一間が出っ張っていたものでしたから、なんじょう右門の慧眼《けいがん》ののがすべき、臭いなと思ってすっくと立ち上がりながら近づいていって、こころみにたたいてみると、果然出っ張った土壁の奥は空洞《くうどう》らしく、ぼんぼんと陰にこもった響きでありました。
 と――そのとたんです。
「聞いたこともねえ名まえをぬかしやがって、おかしな因縁つけやがると思ったから黙っていわしておいたが、さては八丁堀のやつらじゃな」
 仙次もさる者、それと見破ったもののごとく、がぜん敵意を示してきましたものでしたから、今ぞ莞爾《かんじ》としてうち笑ったのは右門でした。
「ようやくわかったか。ついでに名まえも聞かしてやらあ。おれがいま八丁堀でかくれもねえむっつり右門だ!」
「うぬッ、きさまだったか。こうなりゃもう百年めだ。黙ってさっき聞いてりゃ、ぐにゃぐにゃの贅六《ぜいろく》なんかときいたふうなせりふぬかしゃがって、とれるものならみごととってみろッ」
 いうやいなや、かたわらの中わきざしを引きよせて、ぎらり秋水にそりを打たしながら八つ化け仙次が立ち上がったものでしたから、それぞ右門の期したるところ。さらに莞爾としてうち笑《え》むと、いとも涼しげに言い放ちました。
「無手なら草香流、得物をとらば血を見ないではおかぬ江戸まえの捕方《とりかた》じゃ、それでも来るか!」
「行かいでどうするッ。いざといわば仕掛けのその壁へかくれて、まんまと抜け裏へ逃げるつもりだったが、そいつを気づかれたんじゃ、八つ化け仙次も運のつきだ。さ、そっちのひょうげた野郎もいっしょにかかってこい!」
 案の定、秘密の壁を右門に発見されたことによって、もう仙次はやぶれかぶれか、庭の土間先に逃げ口をふさぎながらがんばっていた伝六にまでもいどんできたので
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