それにちげえねえ。そういわれてみりゃ、きょうはまたいっぺんもお番所へ顔を出さねえや。じゃ、お待ちなせえよ、四丁肩で勇ましいところをひっぱってめえりますからね」
 まをおかずに、そこへ替え肩づきのたくましいところを二丁ひっぱって帰りましたので、ただちに右門は息づえをあげさせると、まず第一着手に数寄屋橋《すきやばし》お番所へ駕籠先を向けさせました。

     4

 行ってみると、果然、訴状箱の中には、恒藤権右衛門とこそ明記はしてありませんでしたが、朝ほど子どもを連れた女が、夫の討たれた旨を訴えに来たことがちゃんとご記録帳にのせられてありました。幸運なことには、破牢事件の騒ぎのために、まだだれもご検視にすらついていないことがわかりましたものでしたから、道灌山裏《どうかんやまうら》としるされてあったその居どころをたよりに、右門主従は一路駕籠を飛ばしました。
 今でこそ道灌山かいわいは市内のうちになっておりますが、当時はむろんわびしい武蔵《むさし》ガ原《はら》で、旗本、小大名のお茶寮が三、四軒、ぽつりぽつりと森の中に見えるばかりといったような江戸郊外でしたから、訴えのごとき殺傷事件のあった家はただちにわかりました。何を職業としていたものか、一見|分限《ぶげん》者らしい別邸構えが、ちょっと右門に不審をいだかせましたが、事の急はそれなる家が立て札に指名されてある災難者であるかどうかが先でしたから、ずいと中へ通ると、出迎えた妻女に向かって、おもむろに問いを発しました。
「けさほどお訴えに来られたかたは、そなたでござったか」
「はっ……では、あの、お番所のおかたさまにござりまするか」
「さよう、近藤右門と申す八丁堀同心でござる」
「まあ、あなたさまが右門様でござりましたか、よいおかたのお越しを願えまして、仏となった者もしあわせにござりましょう」
「では、もちろんそなたが恒藤権右衛門どののご妻女でござるな」
「はっ……このとおり、もう今年六歳になるかわいい者までなした仲にござります」
 夫を討たれた者の妻女としては、ことばの応対なぞがややおちつきすぎていると思われましたが、しかし、それはおそらく、恒藤権右衛門とその姓名の示すとおり、士籍にある者の妻ゆえのおちつきであろうと思われましたので、念のために右門は尋ねました。
「どうやら、由緒《ゆいしょ》あるらしいかたがたのように思われるが
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