まして、しめし合わせた老職が袈裟掛《けさが》けの二太刀で無残にもこれを追い傷にしとめ、また元来が藩の祐筆《ゆうひつ》であまり刀法には通じていなかったものでしたから、手もなくしてやられたその死骸《しがい》をば、今われらのむっつり右門が胸のすくような眼力であばいたとおり、家の内の井戸中へ投げ込んでおいて、その上には急ごしらえのかまどをしつらえ、そして不義のざれごとに目のくらんだ六十侍が、運よくも――あるいは運わるくも水泳の達人でしたから、妻女とぐるのひとしばいをかいて、小娘のお静が訴え出たように、浪人者の発狂投身と見せかけながら永代橋上よりおどり込み、むろん自身はこっそりとそのまま泳ぎ帰って、さもそれを入水《じゅすい》行くえ不明なるがごとくに、妻女の口から近所かいわいに言い触れさせたのでありました。右門がそのときみずから右門流の吟味方法と称しながら、その六十侍を永代橋からけおとしたゆえんのものは、早くもそれとにらんだので、老職自身に世のつねのような痛み吟味をかけて自白させるかわりに、ちょっとばかりあざやかな右門特有のからめ手の吟味戦法を小出しにしたまでのことでしたが、さればこそ、あのときの
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