半ときばかりもたつと、これは意外! ふるえながら青ざめている同じくらいのいじらしい小娘をもうひとりそのうしろに伴って、てがらをほこり顔に、にこにこしながらかえってまいりましたものでしたから、ひと目見るやいなや、あッとばかり伝六が目をさらにしてしまいました。
「ね、だんな! ね、だんな! こ、こりゃ、ゆうべときょう、だんなをたずねてきたあの小娘じゃござんせんか」
すると、右門が涼しい顔をしていったものです。
「そうさ。まさに判然とあの小娘だよ。どうだい、おまえの胸も、ちっとはすっとしたろう」
「しました、しました。富士の風穴へでもへえったようですよ。さすがはだんなだけあって、やることにそつがねえや。なるほどな。じゃ、なんですね、きのうからのこの小娘のそぶりをお聞きなすって、ひと事件《あな》あるなっとおにらみなすったんですね」
「あたりめえよ。わざわざ右門を目ざしてたずねてきたのもおかしいが、二度もたずねて二度とも帰ってしまったなあ、恥ずかしいよりもよくよくでかい事件なんで、訴えることがおっかねえんだなとにらみがついたから、きょうもてっきりまたたずねてくると思って、子どもは子どもどうしに、お糸坊をちょっとえさに使ったんだ。――な。嬢や、さ、いってみな。このとおり、もうおじさんがついているからにゃ、鬼の首だって取ってあげるから、隠さずにいってみなよ」
いうと、いたいけなその小娘は、案の定よくよく思いあまっていたこととみえて、右門のそのたのもしい一言に、ほろりと一つたまりかねたようなしずくを見せていましたが、やがてぽつりぽつりと、事のあらましを訴えました。
それによると、このいじらしい小娘の父親は、もと中国筋のさる藩中で、ささいなことから君侯の怒りにふれて浪々の身となり、もう半年ほどまえから深川|八幡《はちまん》裏に継母と三人暮らしのわび住まいをしていたのだそうですが、十日ほど以前のある晩、父親が突然不思議な死に方をしたというのです。なんでも、日ごろからたいへんな迷信家で、ことごとにご幣をかつぎ、浪々の身となって深川に住むようになったことも、男は占い者のことばのうちに、辰巳《たつみ》の方角へ住まいをしたらふたたび運が開けるだろうという注意があったためからのことだったそうでしたが、しかるに殿の勘気はいっこうにゆるまず、さらに開運のきざしをすら見せなかったので、新たに八幡宮へ三七二十一日のご立願《りゅうがん》を掛けようとお参りにやって行くと、はからずもその境内にいぶかしきひとりの占い者が居合わせて、それなる少女の父親が通りかかったのを認むるや、頼みもしないのに、突然おかしなことをいったというのでありました。それがいわゆる八卦見《はっけみ》占い者の常套《じょうとう》手段といえば手段ですが、とにかくその前を通りかかると、突然、あなたには死相が浮かんでいるというようなことをいったのだそうで、そうでなくとも平生が迷信深い浪人者でしたから、すっかりそのひとことにはまってしまい、こわごわ卦《け》をたててもらうと、それなる八卦見がまたなんによってそんな奇怪きわまる判定をしたものか、断ずるごとくに、こよいの丑満《うしみつ》どきに死ぬだろうということを言いきったというのです。だから、浪人者のびっくりぎょうてんしたのはむろんのことで、今はもう八幡宮へご立願どころではなくなったものでしたから、うろたえて浪宅に帰りつき、厳重に戸締まりを施しながら、家人の者をすら遠ざけて奥の一間に立ちこもっていたのだそうでしたが、しかるに、浪人者の態度は大いに奇怪至極でありました。夜半すぎまではいっこう何も変った点は見せなかったそうでしたのに、売卜者《ばいぼくしゃ》のいったかっきり丑満どきがやって来ると、実もって奇怪なことには、急に気違いのごとくに狂いだし、なにやら声高にわめきながら、やにわに往来へ駆けだしたんだそうで、のみならず、そのままやみの中をいっさんに永代橋に向かって駆けつけていくと、あれよあれよと追いすがった妻女の手をふりのけながら、いきなり身をおどらして、橋の欄干ぎわからざんぶとばかり大川に身を投じ、それなりどこへ流されてしまったか、死体もわからない不審な自殺を遂げてしまったということでありました。で、小娘の訴え嘆願していうのには、いかにもその死に方がいぶかしすぎるから、右門の知恵と力によって、その不審な父親の死のなぞを解いてほしいとこういうのでした。
事実としたら、なるほどその死に方は、少しばかり奇怪です。いかに浪人者が昔からの迷信家であったにしても、このご時世にそんな死に方は、めったにはあるべきことがらではないんですから、即座に小娘の哀願を引きうけて、よしとばかりに、右門一流の疾風迅雷的な行動が、その場からすぐと開始されそうに思われましたが、しかるに、かれ
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