でも悪知恵つけておいたんですかい」
相手はなにしろまだ九つか十ぐらいの小娘なんでしたから、たとえどんなに色っぽくまっかな顔になって逃げかえったにしても、それをただちに右門とおかしな仲ででもあるかのように思う伝六もちっと酔狂がすぎますが、しかしその報告がもし事実としたなら、相手が小娘だけに、右門も少しいぶかしく思ったので、もう一度たずねてくるかと心待ちに待ちました。
しかるに、この奇怪なる来訪者は、右門の予期を裏切って、いぶかしきなぞの雲に包まれたまま翌日となりました。翌日もむろん前日にまさる炎暑でしたが、勤番は半日交替で午前中にひけるはずでしたから、伝六の怪しげなる腕まえによって調理された朝食を喫すると、あまりぞっとしない顔つきで、むっつりとしながら出仕いたしました。例のようにすぐと訴訟箱をひっかきまわしてみたが、いっこう目ぼしい事件もございませんので、屈託げにあごのひげをまさぐっていると、かれこれもうひけどきに近いお昼ごろのことです。伝六があたふたと駆けつけていったもので――。
「ねえ、だんな。ちっとどうもおかしいじゃござんせんか。ゆんべ八丁堀のほうにやって来たあのちっこい小娘が、まただんなを名ざしてたずねてきましたぜ」
名ざしといったものでしたから、ますますいぶかしさをおぼえまして、すぐと右門が立とうとすると、しかし伝六が押えていいました。
「まちなせえよ、まちなせえよ。そんなに目色をお変えなすったってだめですよ。ね、小娘のくせに、いよいよもって、どうもふざけたまねしゃがるじゃござんせんか。今はらちがねえにしても、五、六年たちゃそろそろ年がものをいうからね。だんなに気があるならあると、すなおにいやいいのに、あっしの顔みたら、またまっかになって、いちもくさんに逃げてきましたぜ」
と――、聞き終わるやいなや、むっつり右門がどうしたことか莞爾《かんじ》とばかり微笑を見せていましたが、まもなく例のごとくにかれ一流の意表をつく命令が、疾風迅雷的にその口から放たれました。
「な、伝六! きさま清水屋にお糸っていう小娘のあること知っているな」
「え? 知ってますよ。知ってますが、清水屋っていや米屋じゃござんせんか。お米ならもうとうにゆんべまにあいましたぜ」
「米に用があるんじゃねえんだ。娘のお糸に用があるから、ひとっ走りいって、ちょっくら借りてこい!」
「あきれちまうな。そんな小娘ばっかり集めなすって、鬼ごっこでもする気ですかい」
少しも右門のやることに予測がつかなかったものでしたから、正直一点の伝六が首をひねったのは当然なことでしたが、しかるに本人の右門のほうはいよいよいでていよいよ不審だったのです。ひと足先にお組屋敷へかえって、ゆうゆうと寝そべっていましたが、伝六が汗をふきふき米屋の小娘を伴ってきたのを見ると、急に目を細めながらいいました。
「ね、お糸坊。おまえこないだっから、おじさんが好きだといったな」
「ええ、大すきよ。絵双紙でみた名古屋|山三《さんざ》そっくりなんだもの――」
この少しこまっちゃくれた下町娘は、もうよほど右門とはなじみとおぼしく、いささかもはにかみを見せないですぐと答えましたものでしたから、右門がいよいよ伝六の目を丸くするようなことを平然としていいました。
「じゃ、きょう一日おじさんの子どもにならんかい」
「いちんちだけなの……?」
「ああ。だけど、おまえがもっと幾日もなりたいというなら、してあげてもいいよ」
「じゃ、なりましょう! なりましょう!」
すばらしく勇敢に、すぐと答えましたものでしたから、伝六がとちめんぼうのような顔つきをしていると、反対に右門はにやにやとやっていましたが、まもなくそこに碁盤をさげ出しながら、すましきっていいました。
「じゃ、さっそく、これからおはじきを始めるからね」
そういうと、ほんとうにお糸坊を相手にしながら、もうぱちぱちとおはじきをやりだしたもので、しかもなにがそんなにおもしろいものか、あきもせずに夕がた近くまで同じことを繰り返し繰り返しやっていたものでしたから、伝六がとうとうお株を始めました。
「らちもねえことするにもほどがごわさあ。くそおもしろくもない、あっしゃもうけえりますよ」
「そうかい。けえりたきゃけえってもいいが、でも、すぐとまた来なくちゃならんぜ」
それを意味ありげに引き止めながら、しぎりと右門はお糸を相手に興がっていましたが、やがてまもなくのことです。そろそろたそがれが近づきかかったのをみると、突然お糸をこかげに招いて、耳へ口をよせながら、なにやらこまごまと秘策をさずけました。
「まあ、そう。ええ、わかりました、わかりました。おもしろいのね」
すぐと了解がついたものか、きゃっきゃっといって、お糸坊は丸くなりながら表へ駆けだしたようでしたが、四
前へ
次へ
全12ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング