笑いました。のみならず、不思議なことをごくあっさりといったもので――。
「じゃ、今からひっこしをするかな。そこのまくらと蚊やりとを持って、きさまもいっしょについておいでよ」
 いうと、笑顔《えがお》ではなくほんとうにさっさと表へ歩きだしたものでしたから、例のごとく口をとがらしたのは伝六でした。
「またいつもの癖をそろそろ始めましたね。だんなのこの癖にゃ、たこのあたるほど出会っているんだから、けっしてもう愚痴もいいませんが、それにしても少しうすみっともねえじゃござんせんか。この真夜中に木まくらとかやり粉をもってのそのそしていたひにゃ、だれが見たってつじ君あさりとしきゃ思いませんぜ」
 しかし、右門はもうそのとき完全に、われわれのむっつり右門でありました。黙然たることその金看板のごとく、行動の疾風迅雷的にして、その出所進退の奇想天外たることまたいつものとおりで、面に自信の色を現わしながら颯爽《さっそう》として足を向けたところは、伝六のいったつじ君の徘徊《はいかい》している柳原の土手ではなくて、つい宵《よい》の口に通ったばかりのあの紀国坂《きのくにざか》だったのです。しかし、かれは坂の中途で
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