どのものはねえと思っていたんだが、質屋のおやじのせりふが気に食わねえんだ。右門ひとりを見くびるなかんべんしても、お上の者がどじを踏むとぬかしやがるにいたっては、お江戸八百万石の名にかかわらあ。朝めしめえにかたづけてやるから、大手を振ってついてこいッ」
「ちえッ、ありがてえッ。そう来なくちゃ、おれさまの虫もおさまらねえんだ。今度という今度こそは、もうのがしっこねえぞ」
伝六にしてみれは、右門の出馬はまったくもう万人力にちがいないんですから、こうなるともう早いこと、早いこと、三尺帯を締め直したとみえたが、鉄砲玉のように表へ飛んでいくと、
「へえい、だんな! おあつらえ」
すぐに駆けかえってきて、みずから駕籠のたれをあげながら、右門の乗るのを待ち迎えました。
ここにいたれば、もはやただわがむっつり右門の、名刀|村正《むらまさ》のごとき凄婉《せいえん》なる切れ味を待つばかりです。やや青みがかった白皙《はくせき》の面にきりりと自信のほどを示すと、右門は長刀をかるくひざに敷いて、黙然と駕籠をあげさせました。
宵《よい》はこのときに及んでようやく春情を加え、桜田御門のあたり春意ますます募り、牛《うし》ガ淵《ふち》は武蔵野《むさしの》ながらの大濠《おおほり》に水鳥鳴く沈黙《しじま》をたたえて、そこから駕籠は左へ番町に曲がると、ひたひたと大江戸城の外廓《そとぐるわ》に出ぬけてまいりました。
けれども、右門の命じたそこからの行く先は、二十騎町の三河屋なる質屋でなくて、伝六に聞いた今の話の古道具商竹林堂だったのです。
「許せよ」
駕籠から降りて鷹揚《おうよう》にいいながら、ずいと店先へはいっていったものでしたから、男まえといい、貫禄《かんろく》といい、番町あたりの大旗本とでも目きき違いをしたのでしょう。四十五、六の小太りな道具屋のおやじが、ことごとくもみ手をいたしまして、へへい、いらっしゃいまし――とばかり、そこへ平月代《ひらさかやき》の額をすりつけました。そして、べらべらとつづけました。
「――お品はお腰の物でございましょうか。お刀ならばあいにくと新刀ばかりで、こちらは堀川の国広、まず新刀中第一の名品でござります。それから、この少し短いほうは肥前の忠吉《ただよし》、こちらは、京の埋忠――」
「いや、刀ではない。わしは八丁堀の者じゃ」
道具屋のくせに、なんとまあ目のきかないやつだ、といいたげなまなざしでぎろり右門がおやじの顔を射ぬいたものでしたから、亭主のぎょうてんしたのはもちろんのこと、もみ手が急にひざの上でのり細工のように固まってしまいました。と――右門のいっそうに鋭いまなざしが、そののり細工のように堅くなった亭主の右腕を、じっと射すくめていましたが、不意にえぐるような質問が飛んでいきました。
「おやじ! おまえのその右小手の刀傷はだいぶ古いな」
「えッ!」
「隠さいでもいい。十年ぐらいにはなりそうだが、昔はヤットウをやったものだな」
「ご、ご冗談ばっかり――このとおりの見かけ倒しなただの古道具屋めにござります……」
「でも、道具屋にしてはわしを見そこなったな、新まいか」
「えへへへ……そういう目きき違いがおりおりございますので、とんだいかものをつかませられることがございます……」
「ウハハハハハハ」
と、不思議なことに、突然また右門の態度が変わって、さもおかしそうに大声で、からからとうち笑っていましたが、ずいと座敷へ上がると、からかうように亭主にいいました。
「不意にわしがおかしなことをいったので、きさま、がたがたと、いまだに震えているな。なに、心配せいでもいいよ。ときに、きさまのところで金のお大黒さまとかが紛失したそうじゃってのう」
「あっ。その件でお越しくださりましたか。遠路のところ、わざわざありがとうございます。実は、それが、そのいかにも不思議でござりましてな。あのお大黒さまは、てまえが、命にかけてもたいせつな品でござりますので、神だなにおまつり申しあげ、朝晩朝晩欠かさずにお供物も進ぜるほどの信心をしてござりましたが、さよう、まさしく一昨日のことでござります。朝お茶を進ぜようと存じまして、ひょいと神だなを見ますると、不思議なことに、それが紛失しているのでございますよ。ところが、もっと奇妙なことには、つい目と鼻の先のあのかどの三河屋でございますが、あの質屋の神だなに、その日から寸分たがわぬ大黒さまがちゃんとのっかってござりますのでな、てまえはもうてっきり家のものと存じまして、さっそく掛け合いに参りますると――」
正体がわかって安心したように、べらべらとのべつにしゃべりだした亭主のことばをうるさそうに押えると、右門は突っ立ったままで尋ねました。
「わかった、わかった。もうわかってる。そのことでおまえたちがいがみ合っていることを聞いたから参ったのじゃが、いったいそのお大黒さまはどんな品じゃ」
「正真正銘|金無垢《きんむく》のお大黒さまでござります」
「金無垢とのう。すると、なんじゃな、いずれは小さい品じゃな」
「へえい。実はその小さいのが大の自慢で、まずあずき粒ほどの大きさででもござりましたろうか。ところが、その豆大黒さまには、ちゃんとみごとな目鼻も俵もついてございますのでな。どうしたって、そんな珍しい上できのお大黒さまなんてものは、たとえこの江戸が百里四方あったにしても、二つとある品じゃないのでござりますよ。しかるに、それが――」
「わかった、わかった。あとは言わいでもわかってると申すに! ところで、その豆大黒はどこへ祭ってあった」
「ここでござります」
いいながら道具屋の亭主がなにげなく次のへやとのふすまをあけたせつな――右門はおやッ! と目をみはりました。なぜかならば、そこの長火ばちの向こうに、ひとりの異様な姿の女がさし控えていたからでありました。
3
女は年のころがまず三十五、六。太り肉《じし》で、食べ物のよさを物語るようにたいへん色つやがよろしく、うち見たところいかにも艶《えん》に色っぽいのです。しかるに、異様な姿だというのはまずその髪の毛でありました。まだじゅうぶんに情けの深さを示す漆黒のぬれ羽色をしていながら、中ほどをぷっつりと切った切り下げ髪で、だからまゆは青々とそって落として、口をあけてはいないからわからないが、歯はむろんのことにおはぐろ染めに相違なく、したがってどこのだれがどう見ても、ひと目に若後家とうなずかれるいでたちをしていたものでしたから、若後家さんである以上その者が古道具屋の妻女でないことは、はっきりと右門にわかりました。のみならず、食べ物のよさを物語るようなそのたいへんぐあいのよろしい太り肉《じし》の色つやから判断すると、どうしてもご大家の育ちらしいので、しかもそれが普通のご大家ではなく、おうへいに長火ばちの向こうの正座を占めているところから察すると、このみすぼらしい古道具屋のおやじには主人筋にでも当たる身分の者のような節がありましたから、右門は異様以上に不調和な両人の対照のために、先鋭きわまりなきその心鏡を、早くもぴかぴかととぎすましました。
けれども、たとえ心にどんな変動があったにしても、それをみだりに色へ出す右門とは右門が違います。微笑を含みながら、それなる青まゆの女に目であいさつすると、右門は黙ってその前を通りすぎました。
すると、やや不思議です。まゆをおとしたそれなる女が、その青々しいまゆげの下にこってりと見ひらかれている切れ地の長い目もとで、あきらかに媚《こび》を含んだ笑いを、ためらうこともなく、そしてまたひるむところもなく、ただちに右門に向かって返礼したではありませんか! これは右門にとって、実に容易ならざるできごとでなければなりませんでした。たといその種のごく食べ物がよろしい太り肉《じし》の若いお後室さまが、いかにりりしく美しい筋肉の引き締まった若い侍をお好物であったにしても、そういうことが神代ながらの因果な約束であったにしても、わが道心堅固なるむっつり右門においては、そんな心で彼女に向かい目もとの微笑をほころばしたのではなかったからです。しかるに、女は切れ地の長いその目で、あきらかに媚《こび》を送ったのです。ともかくも、右門が非常なる好物であることを、ひと目で好物になったらしいことを、はっきりと示したんですから、右門にとっては実に容易ならざる珍事でした。ために、右門は少し足もとの見当が狂ったような様子を見せていましたが、しかし、それはほんのしばし――
「あの神だなが、お大黒さまを祭ってあったところでござります」
いった亭主のそばへ近づいていくと、伸び上がるようにしてぎろりとまずその特有の目を光らしました。みると、なるほど亭主のいうとおり、なげしの上に造りつけた箱だなの中には、お不動さまのお守りもあるが、それから天照皇太神宮のお札もあるが、豆大黒はその上に飾ってあったらしい小さな台座が残っていても、金無垢《きんむく》の福々しいそのお姿をばどこにも見せていないのです。
と、そのときじっと目を光らしていた右門のまなこに、はからずも映った一個の古ぼけたお茶わんがありました。豆大黒さまが出奔してからというもの、気も転倒してしまったとみえて、それっきりもう朝ごとのお茶も進ぜないらしく、茶わんはほこりにまみれたままでありましたが、その位置がちょうど大黒さまがまつられてあったお台座の真下になっていたものでしたから、なにげなく取りおろして、ふと中をのぞいてみると、とたんに右門はにっこりと笑いながら、言下に命じました。
「伝六ッ、きさまにもてがらを半分おすそ分けができそうになってきたぞ。筋向こうの質屋へ行って、そこの家にある豆大黒といっしょに、亭主をここへしょっぴいてこい」
心得て、すぐに伝六が命令どおり、うしろへ質屋の亭主を引き連れながら、疑問の豆大黒をてのひらの上にのせてたち帰ってまいりましたものでしたから、形勢われに有利と見てとったかのごとくに、古道具屋のあるじがたちまちおどり上がってしまいました。
「三河屋さん、そうれごろうじろ、やっぱり大黒さまはてまえのうちのものですぜ。ねえ、八丁堀のだんな、そうなんでがしょう」
ところが、右門は意外でありました。なんとも答えずに伝六のてのひらの上からあずき粒ほどの大黒をつまみあげると、自分の目の前になみなみとつがれてあった饗応《きょうおう》の薄茶の中へ、容赦なくぼちょりとそれを落としこんだのです。と――なんたる不思議、いや、なんたる右門の明知のさえであったでしょう! 純真|無垢《むく》の金大黒と見えたくだんの小粒は、熱いお茶に出会って、みるみるうちにたわいもなく、とろんこと、どろになってしまったものでしたから、同時にいくつかの、あっ! という驚きの声が、右から左から、そしてうしろから、右門の手もとにそそがれました。
けれども、わがむっつり右門は、それらのあっ! という驚きの中から、ただ一つなまめかしいお後室さまのあっ! といった声のみを耳に入れると同時のように、そのほうへふり返って、ほんのりと微笑を送りました。そして、今なお驚き怪しんでいる道具屋のおやじと質屋のおやじとをしりめにかけながら、立ち上がって箱だなの中からさっき見ておいたお茶わんを取りおろすと、一座の者に二つの茶わんの中をさし示しつつ、明快流るるごとき鑑識のさえを見せました。
「よくまあ、この両方の茶わんの中を見るがいいや。道具屋にも似合わしからぬお眼力のうといことでござんしたな」
「へへい、なるほどね、両方とも茶わんの中はどろ水ですが、そうすると、こりゃお大黒さまはやっぱり二つで、両方ともどろ細工でしたんですかい」
「ま、ざっとそんなところかな。おまえんところのやつは、ねずみかなんかにけおとされて、ご運がわるくもお茶わんの中におぼれちまったんで、金無垢の豆大黒さまもたわいなく正体をあらわしちまったんさね。これがほんとうに箔《はく》のはげるというやつさ。でも、どろ水の中にちかちか光った金粉がいまだに残っているところを見ると、金は金の金粉だった
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