ろうが、それにしてもこんな子どもだましの安物をお家の宝にしていたり、それがもとで仲たがいするところなんぞをみると、ほかに何かもっといわくがありそうだな」
いいながら、若いご後室さまのやや青ざめた面にぎろりと鋭い一瞥《いちべつ》を投げ与えていたようでしたが、その鋭い一瞥のあとで急にまたいともいぶかしい微笑を彼女に送ると、右門はこともなげに言いすてて立ち上がりました。
「さ、伝六。これで一つかたがついたから、お小屋へかえってゆっくり寝ようかね」
だのに、立ち上がってのそのかえりしな、それほどもこともなげにふるまっている右門の右足が、いかにも不思議きわまる早わざを瞬間に演じました。ほかでもなく、若いご後室さまの、そこにちょっぴりとはみ出していた足の裏をぎゅっと踏んだからです。
「まあ!」
たいていのご婦人ならばそういって、少なくも右門の失礼至極な無作法を叱責《しっせき》するはずなのに、ところが青まゆのそれなる彼女にいたっては、いかにも奇怪でありました。踏まれたことを喜びでもするかのように、じいっと右門のほうをふり向いて、じいっとその流し目にとてもただでは見られないような、いわゆる口よりも物を言い、というその物をいわせたものでしたから、表へ出ると同時に何もかも知っていたか、伝六が少しにやにやしていいました。
「ね、だんな。ちょっと妙なことをききますがね。だんなはそのとおりの色男じゃあるし、べっぴんならばほかに掃くほどもござんすだろうに、あのまあ太っちょの年増《としま》のどこがお気に召したんですかい。まさかに、あの女の切り下げ髪にふらふらなすって、だんなほどの堅人が目じりをさげたんじゃござんすまいね」
「ござんしたらどうするかい」
ところが、右門が意外なことを口走ったものでしたから、伝六がすっかり鼻をつままれてしまいました。
「え※[#感嘆符疑問符、1−8−78] じゃなんですかい、あのぶよんとしたところが気にくっちまったとでもいうんですかい?」
「でも、ぶよんとはしているが、残り香が深そうで、なかなか美形だぜ」
「へへい、おどろいちゃったな。そ、そりゃ、なるほどべっぴんはべっぴんですがね、まゆも青いし、くちびるも赤いし、まだみずけもたっぷりあるから、残り香とやらもなるほど深うござんすにはござんすだろうがね、でも、ありゃ後家さんですぜ」
「後家ならわるいか」
「わ、わ、わるかない。そりゃわるい段ではない。だんながそれほどお気に召したら、めっぽうわるい段じゃごわすまいが、それにしても、あの女はだんなよりおおかた七、八つも年増じゃごわせんか。ちっとばかり、いかもの食いがすぎますぜ」
さかんに伝六が正面攻撃をしていたちょうどそのときでした。何者かうしろに人のけはいをでもかぎ知ったごとくに、突然右門がぴたりと歩みをとめて、そこの小陰につと身を潜めましたものでしたから、伝六も気がついてふりかえると、かれらを追うようにして道具屋の店から姿を現わした者は、塗りげたにおこそずきんの、まぎれもなき彼女でした。
とみると、驚きめんくらっている伝六をさらに驚かせて、わるびれもせずに右門が近づきながら、はっきりと、たしかにこういいました。
「まさかに、拙者をおなぶりなすったのではござりますまいな」
すると、女が嫣然《えんぜん》と目で笑いながら、とたんにきゅっと右門の手首のあたりをでもつねったらしいのです。往来のまんなかにいるというのに、一間を隔てないうしろには伝六がいるというのに、どうも風俗をみだすことには、きゅっとひとつねり、ともかくも右門のからだのどこかをつねったらしいのです。と、困ったことに、右門が少しぐんにゃりとなったような様子で、ぴったりと女に身をより添えながら、その行くほうへいっしょに歩きだしました。けれども、根が右門のことですから、そう見せかけておいて、実はどこかそのあたりまで行ったところで、何か人の意表をつくようなことをしでかすだろうと思いたいのですが、事実はしからず、土台もういい心持ちになって、うそうそとどこまでも肩を並べていたものでしたから、伝六は少し身のかっこうがつかなくなりました。
しかし、身のかっこうがつかなくなったとはいっても、それはわずかの間でありました。
「お供のかたもどうぞ……」
いうように青まゆの女が目でいって、右門とともに伝六をも導き入れた一家というのは、おあつらえの船板べいに見越しの松といったこしらえで、へやは広からずといえども器具調度は相当にちんまりとまとまった二十騎町からは目と鼻の市《いち》ガ谷《や》八幡《はちまん》境内に隣する一軒でありました。むろん、男けはひとりもなくて、渋皮のむけた小女がふたりきり――
「だんなはこちらへ……」
というように、緋錦紗《ひきんしゃ》の厚い座ぶとんへ右門をすわらせると、女は銅《あか》の銅壺《どうこ》のふたをとってみて、ちょっと中をのぞきました。そのしぐさだけでもう心得たように、すぐと運ばれたものは切り下げ髪なのに毎晩用いでもしているか、古九谷焼きの一式そろった酒の道具です。それから、台の物は、幕の内なぞというようなやぼなものではない。小笠原豊前守《おがさわらぶぜんのかみ》お城下で名物の高価なからすみ。越前《えちぜん》は能登《のと》のうに。それに、三州は吉田名物の洗いこのわた。――どうしたって、これらは上戸にしてはじめて珍重すべき品なんだから、青まゆの女の酒量のほどもおよそ知られるというものですが、それをまた下戸のはずであるむっつり右門が、さされるままにいくらでも飲み干し、飲み干すままに女へも返杯しましたものでしたから、これはどうあっても伝六として見てはいられなくなったのです。
「陽気が陽気ですからね、およしなさいとはいいませんが、むっつり右門ともいわれるだんなが、酒に殺されちまったんじゃ、みなさまに会わされる顔がござんせんぜ」
けれども、右門は答えもしないで、しきりとあびるのです。あびながら、そのあいまあいまに、見ちゃいられないほど彼女のほうへしなだれてはしなだれかかり、どうかするとぱちんと指先で女のほおをはじいてみたりなんぞして、いつのまにどこでそんな修業を積んだものかと思えるほどの板についたふるまい方をやりましたものでしたから、事ここにいたっては、酒に目のない伝六のとうてい忍ぶべからざる場合にたちいたりました。
「よしッ。じゃ、あっしも飲みますぜ」
たまっていた唾涎《すいえん》をのみ下すように、そこの杯洗でぐびぐびとあおってしまいました。まもなく、右門がまずそこに倒れ、そのそばを泳ぐようにはいまわっている伝六の姿を見ることができましたが、そのときはもう夜番の音も遠のいて、江戸山の手の春の夜は、屋根の棟《むね》三寸下がるという丑満《うしみつ》に近い刻限でありました。
4
しかし、翌朝はきのうと反対に、降りみ降らずみのぬか雨で、また返り梅雨《つゆ》の空もようでした。右門主従のその家に酔いつぶれてしまったことはもちろんのこと、ところが目をあけてよくよく気をつけて見ると、どうも寝ているへやがおかしいのです。あかりのはいるところは北口に格子《こうし》囲いの低い腰窓があるっきり。それでもへやはへやにちがいないが、畳も敷いてない板張りで、万事万端がどう見ても、あれほど青まゆの女に思い込まれた美男子の宿るべき場所ではなかったうえに、しかも奇怪なことに、右門はたいせつな腰の物、伝六はこれもかれになくてはかなわぬ重要な朱ぶさの十手を、いつのまにか取りあげられてあったのです。それらの護身用具であり、同時にまた攻撃用具である品品をかれらの身辺から取り上げてしまったということは、いうまでもなくかれらから第一の力をそいだことにほかならないので、のみならず子細に調べてみると、その物置き小屋らしい一室の出入り口は、厳重に表から錠をかけられ、あまつさえへやの外には、見張りの者らしい人声が聞こえるのです。それも二、三人で、さようしからば、そうでござるか、というようないかついことばつきから察すると、番人はたしかに武士らしく判断されました。しかも、それらの番人の中にまじって、まぎれもなく前夜きき覚えの、あの青まゆの女の声と、そしてそれから、あの古道具屋のおやじの声があったものでしたから、ぎょっと青ざめて伝六がいいました。
「ちえッ。だから、いわねえこっちゃなかったんだ。きつねにでも化かされたのかと思いましたが、どうやら酒で殺されて、まんまとあいつらに、あっしたちがはめ込まれているんじゃごわせんか。ね! しっかりおしなせいよッ」
しかし、右門は黙ってただくすくすと笑っているのです。あれほどあびるように飲んだのに、格別ふつか酔いにやられたような顔もせず、いつもよりかそのりりしい面がやや青白いというだけのことで、くすくすとただ笑ってばかりいたものでしたから、伝六がむきになってきめつけました。
「なにがおかしいんですか! ごらんなさい! だんならしくもなく、あんなくらげのふやけたような女に目じりをおさげなすったから、刀はとられる、十手はとられる、あげくのはてにこんな物置き小屋へたたき込まれちまって、うすみっともないざまになったんじゃごわせんか! いったい、どうしてここから逃げ出すおつもりですかい!」
だのに、右門は依然くすくすと笑ったままでした。笑いながら、そしてその青白い顔を転じると、格子窓からぬか雨にけむる庭先のぬかるみに向かって、伝六の愚痴をさけるように面をそむけました。とたんに、そのとき、そこの庭先でちらりと右門の目についた異様な人影があったのです。いや、人影はただの人足らしい者でありましたから、けっして異様でも奇怪でもなかったのですが、その足にはいているわらじが、どうしたことか逆に、すなわち前後がさかしまになっていたものでしたから、はっとなったように右門はひとみを凝らしました。見ると、男はうしろに長方形の箱を背負って、ちょうどそれは子どもの寝棺のような箱でしたが、その奇妙な箱を相当重そうに背負って、上に雨よけの合羽《かっぱ》をおおいながら、いましも表へ向かって歩みだそうとしているのです。いかにもその足のわらじが不思議でありましたから、ひとみをすえてじっと耳を澄ましていると、あきらかに青まゆの女の声で命令するのが聞こえました。
「では、気をつけてね。あそこだよ」
「へい。心得ました。そのかわり、晩にはたんまりと酒手を頼んまっせ」
いうと、人足は酒手にほれたもののごとく、表へ向かって歩きだしました。返り梅雨《つゆ》で庭先はぬかるみでしたから、地上にはかれが歩くのとともに、はっきりとうしろ前をさかしまにはいているわらじの跡がついたのです。すなわち、人と足は事実表へ向かって出ていきつつあるのに、ぬかるみの地上に残された足跡は、さながら反対に表から帰ってきたように見えました。
それを知ると同時でありました。突然右門が突っ立ち上がってポキポキと指の関節を鳴らすと、さっと全身に血ぶるいをさせながら、不意に大声で意外なことを叫びました。
「いかい、ごちそうになりましたな。では、ここから帰らせていただきますぞ」
いう下から、ばりばりと腰窓の下の羽目板をはがしだしました。――実は、それが右門の人よりよけい知恵の回るところで、そんなことではけっして破れる羽目板でもなく、またそんなやわな物置き小屋でもなかったのですが、さも窓を破って逃げ出しそうなばりばりという音をたてたものでしたから、右門の誘いの手段とは知らずに、うっかりと表の番人が出入り口をあけて、あわてふためきながら顔をのぞかせたのです。とみるより早く、そのわき腹にお見舞い申したのは、なにをかくそう、わがむっつり右門が得意中の得意の、草香流やわらの秘術はあて身の一手。――また、右門から腰の物さえ取り上げておけば、それでけっこう力をそぎうると考えた愚人どもが、愚かも愚かの骨頂だったのです。伝六から十手を取り上げたはいいにしても、わがむっつり右門には剣の錣正流居合《しころせいりゅういあ》いのほかに、かく秀鋭たぐいなき敏捷《
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