つを聞きゃ、聞いただけでもおもわずぎくっとしなさるでがしょう。なにしろ、ももから下の両足ばかりをぶらぶらと両手にさげて、日に干していたんですからね、あっしがちっとばかり肝を冷やして、このとおり、今もおぞ毛をふるいながら、だんなのところへ、いちもくさんに知恵借りに来たな、まんざら筋にはずれたことでもねえじゃごわせんか」
「そうよな。で、なにかい、その日にかわかしていたとかいう子どもの足にゃ、ほかに何か不審と思える節は気がつかなかったのかい」
「ところが、それが大ありなんでがすよ。ね、血をね、血をぬぐいとって、もう長いこと日にあててでもいたものとみえましてね、いやにのっぺりとなまっちろいうえに、なんだか少しかさかさとしているように思えたものでしたから、このあんばいだとこいつ何かのまじないに子どもをかっさらっては足を干していやがるなと思ったんで、なまじなま兵法《びょうほう》に手出しをやって、せっかくのほしを逃がしでもしてはと、だんなの草香流を大急ぎで拝借に駆けつけてきたんでございますよ」
 すると、右門が、聞き終わるやいなやのように、伝六のからだをはじき飛ばすがごとく突きのけながら、すっくと立ち上がってすっくと長刀をたばさみ、両手の指節をぽきぽきと音も高らかに鳴らして、今いったその草香流、柔術《やわら》の奥儀を、いかにも所望どおりに貸してやろうといわんばかりなたのもしいいでたちで、黙々と表へ歩きだしたものでしたから、右門のそういうときのたのもしすぎる以上にたのもしい点をだれよりも多く知り、だれよりも多く接している伝六は、ことごとくもう親舟に乗ったような気になって、活気づきながらひとりでうれしがりました。
「ちえッ、ありがてえッ。ありがてえッ。こいつがてがらになりゃ、あっしもこれでようやっとごひいきの女の子たちに一人まえの顔が合わされるというもんだ。ねえ、だんな、このとおりにわか天気じゃござんすが、きのうまでの梅雨《つゆ》で往来はまだぬかるみだから、ひとっ走りまたつじ駕籠《かご》でも仕立てますかね」
 けれども、右門の行動のうちに、伝六のそのひとりよがりを、しだいしだいにぬか喜びとさせるがごとき節が見えだしましたものでしたから、少々不思議でありました。
「――さるほどに雪姫の申すには……」
 なんという名の謡曲の文句であるか、小声で渋いのどを続けながら、片手の扇子であざやかな素謡の手の内を見せていたようでありましたが、まずだいいちにその方向が違いだしたので、伝六が必死に呼び止めました。
「あっ、だんな! だんな! そっちゃ方角違いじゃごわせんか。今のそのほしの居どころは下谷ですよ、下谷の仲町ですよ!」
 だのに、右門は右へ濠《ほり》ばた沿いに曲がるべきところを断然反対の左へ曲がりながら、ごく澄ましきって、同じほがらかさをつづけました。
「――雪姫の申すには、われ今生に生まれおちて、いまだ情けの露を知らず、いまだ情けの露を知らず、のうのうそこの影法師、わがために情けがあるならば、日のみ子の顔見せてたべ、われみずから露となって散らむ、みずから露となって散らむ――」
 ゆうゆうとうたいながら、京橋めがけてやって参りましたようでしたが、そこの橋のたもとについせんだってから昼屋台を出している『いさこずし』というのへぬうと首をつっ込むと、おちつきはらってあなごをもうその指先につまみだしたものでしたから、あっけにとられて伝六があたりかまわずに口をとんがらかしました。
「ちえッ。すし屋なんぞは今でなくとも逃げやしねえじゃごわせんか! 下谷のほうはいっときを争うってだいじなどたん場ですよ。また夢中になって、がつがつといくつ召し上がるんですか! あなごの味を知らねえ国から来たんじゃあるめえし、いいかげんにおしなすって、早く草香流の腕まえを貸してくだっせえよ」
 しかし、右門は目をほそくしながら、伝六ではなく、そこのおやじに、ごく上のきげんでいったものです。
「ほう。あなごばかりと思ったら、こっちの蛤《はま》のほうもなかなかの味だな。この梅雨《つゆ》どきに、これほどの薄酢だけで、かくもみごとな味をもたせる腕まえは、どうして江戸随一じゃ。これからもちょいちょいやっかいかけに参るによって、よく顔を覚えておきなよ。あなごと蛤をまたたくうちに二十平らげたおおぐらいの男と思ってな――」
 そして、満腹そうに炮《ほう》じ立ての上がりばなを喫しながら、小ようじで並びのいい歯の上下をさかんにせせくっていましたが、ちゃらりとそこへ小銀を投げ出すと、のどを鳴らしながらも手を出しえないほどに、もうさっきからひとり気をあせりきっていた伝六のほうへようやくにふり返って、おどろくべきことをごくさわやかにいったものでした。
「だいぶ手間どらしたな。おかげでじゅうぶんの満腹、これでぐっすり昼寝もできるというものだ。じゃ、おれはこれからお小屋にかえってひと寝入りするからな。また、晩にでもなったら遊びにきなよ」
 しかも、人を食ったあいさつをしたばかりではなく、ほんとうに八丁堀めがけてさっさと帰りかけたものでしたから、伝六のかんかんにおこってしまったのはむろんのことです。
「えッ。じゃ、なんですかい。だんなはあっしにこれまで気を持たせておいて、あんたには一の子分がせっかくてがらをしようていうのに、お自分は高見の昼寝で、あっしなんぞは見殺しになさるご了見でげすかい」
 けれども、右門はさようとも、いいやともいわずに、さっさと引き揚げていってしまったものでしたから、かんかんどころか、蛸《たこ》のようになって伝六があびせかけました。
「じゃ、もうようござんす! あっしも江戸の岡《おか》っ引《ぴ》きだ、手を貸してやろうっていったって頼むことじゃねえんだから、あとでじだんだ踏みなさんなよ!」
 むきになって下谷を目がけて駆け去りましたが、それすらも右門には耳にはいったかどうか疑わしいくらいのものでした。

     2

 まことにこれは、伝六でなくともかんかんになるのは当然なことにちがいありますまい。草双紙狂で役者志願の一見不良じみた少年でこそはありましたが、ともかくも人間ひとりが生死も不明の誘拐《ゆうかい》をされたというんですから、犬やねこがまい子になったのとは、おのずから事が相違しなければならないはずだからです。しかも、その下手人とおぼしいしばや者の小道具方が、白昼恐れげもなくにたにたと薄気味のわるい笑いをうかべて、まごうかたなき人間の子どもの足を日なたぼっこさせていたというのに、右門はいかにも涼しい顔をしながら、色消しなことには握りずしを二十個も平らげて、これからゆるゆると昼寝をしようといったんですから、右門を信ずることだれよりも厚く、また右門を崇拝することだれよりも厚い伝六にしても、これはかんかんになっておこるのがもっともなことにちがいないのです。
 けれども、それらのいぶかしい右門の態度も、夕がたが来るとすっかりなぞが解けてしまったんですから、やはりこれは、われわれの親愛なる右門にあなごと蛤《はま》を二十個平らげさせてゆるゆる昼寝をさせたほうがましなくらいなものでありました。なぜかならば、あれほどかんかんにおこって行った伝六が、その夕がたになるとしょうぜんとしょげ返って、いかにもきまりわるげに帰ってきたからでありますが、ただきまりわるげに帰ってきたばかりでなく、伝六は力なくそこへべたりとすわると、いきなり両手をついて、まずこんなふうに右門にわびをいったものです。
「さすがはだんなでござんした。さっきはつい気がたっていたものでしたから、聞いたふうなせりふをほざきましたが、どうもご眼力には恐れ入りやした」
 すると、右門は縁側でひと吹き千両の薫風《くんぷう》に吹かれながら、湯上がりの足のつめをしきりとみがいていましたが、にたりと微笑すると、いたわるようにいいました。
「じゃ、あの日に干していた子どもの足は、しばやに使う小道具だってことが、きさまにもはっきりわかったんだな」
「へえい。なんともどうもお恥ずかしいことでござんした。だんなは話を聞いただけであの足が小道具だという眼力がちゃんと届くのに、あっしのどじときちゃ、現物を見てさえももういっぺんたしかめないことにはそれがわからないんですから、われながらいやになっちまいます」
「ウッフフフ……そうとわかりゃ、そうしょげるにもあたらない! 少しバカていねいじゃあるが、念に念を入れたと思やいいんだからね。だが、それにしても、ほかにもうあの事件のねた[#「ねた」に傍点]になるようなものはめっからなかったかい」
「それがですよ。あっしもせっかくこれまで頭突っ込んでおいて、あのほしが見当はずれだからというんですごすご手を引いちまっちゃいかにも残念と思いやしたからね、下谷のあのほしはもう見切りをつけて、すぐにもういっぺん二十騎町の質屋へすっ飛んでいってみたんですが、ほかにゃもう毛筋一本あの事件にかかわりのあるらしいねた[#「ねた」に傍点]がねえんでがすよ」
「そうすると、依然質屋の子せがれは生きているのかも死んでいるのかも、まだわからんというんだな」
「へえい。けれども、そのかわり、あの質屋のおやじがあっしをつかまえて、おかしな言いがかりをつけやがってね。南町はどなたのご配下の岡っ引きだとききやがるから、へん、はばかりさま、いま売り出しのむっつり右門様っていうなおれの親分なんだって、つい啖呵《たんか》をきっちまいましたら、おやじめがこんなにぬかしやがるんですよ。むっつり右門といや、南蛮幽霊事件からこのかた、江戸でもやかましいだんなだが、それにしては、子分のおれがどじを踏むなんて、きいたほどでもねえなんてぬかしやがったんですよ」
「たしかにいったか!」
 すると、右門の顔がやや引き締まって、その涼しく美しかった黒いひとみが少しばかりらんらんと鋭い輝きを見せだしましたものでしたから、伝六が勢い込んでそれへ油をそそぎかけました。
「いいましたとも! いいましたとも! はっきりぬかしやがってね。それからまた、こうもいいやがったんですよ。お上の者がまごまごしてどじ踏んでいるから、たいせつな子どもをかっさらわれたばかりでなしに、もう一つおかしなことを近所の者から因縁づけられて、とんだ迷惑してるというんですよ」
「ど、ど、どんな話だ」
「なあにね、そんなことあっしに愚痴るほどがものはねえと思うんですがね、なんでもあの質屋の近所に親類づきあいの古道具屋がもう一軒ありましてね。そうそう、屋号は竹林堂とかいいましたっけ。ところが、その竹林堂に、もう十年このかた、家の守り神にしていた金の大黒とかがあったんだそうですが、不思議なことに、その金の大黒さまがひょっくり、どこかへ見えなくなってしまうと反対に、今度はそれと寸分違わねえ同じ金の大黒さまが、ぴょこりとあの質屋の神だなの上に祭られだしたというんですよ。だからね、古道具屋のほうでは、てっきりおれんちのやつを盗んだんだろうとこういって、質屋に因縁をつける――こいつあ寸分違わねえとするなら、古道具屋の因縁づけるのがあたりめえと思いますが、しかるに質屋のほうでは、あくまでもその金の大黒さまを日本橋だかどこかで買ったものだというんでね。とうとうそれが争いのもとになり、十年来の親類つきあいが今じゃすっかりかたきどうしとなったんだというんですがね。ところが、ちょっと変なことは、その大黒さまのいがみあいが起きるといっしょに、ちょうどあくる日質屋の子せがれがばったりと行きがた知れずになったというんですから、ちょっと奇妙じゃごわせんか」
「…………」
 答えずに黙々として右門はしばらくの間考えていましたが、と、俄然《がぜん》そのまなこはいっそうにらんらんと輝きを帯び、しかも同時に凛然《りんぜん》として突っ立ち上がると、鋭くいいました。
「伝六! 早|駕籠《かご》だッ」
「えッ。じゃ、じゃ、今度は本気でだんなが半口乗ってくださいますか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「乗らいでいられるかい。こんなこっぱ事件、おれが手にかけるがほ
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