有の疎林に囲まれながらわびしく営まれていた幽光院というお寺を見つけると、さもわが家のごとく、すうと奥へはいってまいりました。
「な、な、なあるほどね。このまえのときにゃ御嶽教《おんたけきょう》の行者になったんだが、今度は虚無僧《こむそう》になろうていうんですね」
その幽光院というのは元和《げんな》元年の建立《こんりゅう》にかかるもので、慶安四年の由比《ゆい》正雪騒動のときまで前後三十年間ほど関八州一円に名をうたわれていた虚無僧寺でしたから、鈍いようには見えてもさすがに伝六も右門の手下、早くもここへ回り道した理由がわかったのですが、それよりも賛賞すべきは右門のここへ立ち寄って虚無僧に変装していこうと気のついた点で、呼び招いた相手が知恵伊豆だから、こいつ尋常一様の事件ではないな、ということがいち早くもかれの脳裏に予断されたからでした。まことに賛賞どころか、三嘆にあたいする推断というべきですが、だからおしゃべり屋の伝六の喜び方は、もうひととおりやふたとおりのものではありませんでした。
「こいつあおつだ。おしばや[#「おしばや」に傍点]に出る虚無僧だって、こんないきな虚無僧なんてものはふたりとごわせんぜ。天蓋《てんがい》の下をのぞくと、だんなが業平《なりひら》、あっしが名古屋|山左衛門《さんざえもん》ていう美男子だからね。ときに、この尺八ゃどこへどう差すんですかい」
竹しらべひとつ吹けないくせに、もういっぱしの虚無僧になったつもりで、ことごとく大喜びでしたが、右門はむろんむっつりと唖《おし》でした。隠してしまうには惜しいくらいな明眸皓歯《めいぼうこうし》のりりしい男まえを深々と天蓋におおって、間道を今度こそは板橋口へ一刻を争うように足を早めました。坂東太郎を暮れ六つに渡って、浦和へ宿をとったのが、もうとっぷりと春の夜もふけた五ツ過ぎ。――大宮を一本道に熊谷《くまがや》へ出て右に忍まで行くほうがずっと近いことを知っていましたが、右門はわざと反対に久喜から羽生《はにゅう》へ回り道をいたしました。この回り道をした点が、やはりむっつり右門の少しばかりほかの連中とは違った偉いところで、今までもしばしば紹介いたしましたからめての戦法――事にのぞんでつねにかれの選ぶあのからめての戦法にもとづいたものでした。というのは、知恵伊豆といわれるほどの大人物がわざわざ自分を江戸から呼ぶくらいだ
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