。だんなにかかっちゃかなわねえな。このあったけえのにどてらなんぞ着ていたひにゃ、おへそにきのこがはえますぜ」
 しかし、右門はすましたものです。金看板のむっつり屋をきめこみながら、じろりと伝六に流し目をくれただけで、依然あごひげを抜いては探り、探ってはまた抜いていましたので、伝六はますますじれ上がって、いっそうつんけんといいました。
「だから、今までだっても顔を見るたびいわねえこっちゃねえんだ。だんなほどの男まえなら、女房の来てなんぞ掃くほどあるから、早くひとり者に見切りをつけなせえといっているのに、ちったあいろけもお出しなせえよ。色消しにもほどがごわさあ、芋虫みたいに寝っころがって、その図はなんですかい。きのこどころか、うじがわきますぜ」
 と――少し意外でした。ほんとうに芋虫のごとく寝ころがって無精ひげをまさぐっていた右門が、むっくり起き上がると、きまじめな顔でぽつりと伝六にいいました。
「では、今からその女房二、三人掃きよせに参ろうか」
「え? ほんとうですかい? 正気でおっしゃったのでげすかい?」
 いつにも口にしたことのないいきなことばを、きわめて真顔で右門がいったものでしたから、おもわず伝六が正気でげすかいと念を押したのも無理からぬことでしたが、すると右門はいよいよ意外でした。
「この天気ならば、辰巳《たつみ》の方角がよいじゃろう。三、四匹ひっかけに、深川あたりへでも参るかな」
 さらにいきなことを言いながら、やおらのっそりと立ち上がると、どてらを小格子双子《こごうしふたご》の渋い素袷《すあわせ》に召し替えて、きゅっきゅっとてぎわよく一本どっこをしごきながら、例の蝋色鞘《ろいろざや》を音もなく腰にしたので、伝六はすっかり額をたたいてしまいました。
「ちえっ、ありがてえな。だから、憎まれ口もきくもんさね。おいらのだんなにかぎって女の子の話なんざ耳を貸すめえて思ってましたが、急に目色をお変えなすったところをみると、その辰巳《たつみ》とやらにはさだめしお目あてがござんしょうね」
 しかし、右門はいかにも伝六の額をたたいて喜んだとおりりゅうとした身なりを整え、まちがいもなく表へやってまいるにはまいりましたが、出がけにふと庭すみの物置きへ立ち寄ると、袋入りのつりざおにすすけきった魚籃《びく》を片手にさげながら、ゆうゆうと現われてまいりましたものでしたから、いま額を
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