でありましたから、後輩もずっと後輩のまだ青々しい右門によってすっかり人気をさらわれてしまったことが、第一にしゃくの種となったのです。そこへもっていってまた悪いことには、通常二十五人が定めである与力にひとり欠役があって、順序からいえば上席同心の敬四郎がはしごのぼりにその職へつかれるはずでありましたが、奉行職《ぶぎょうしょく》にどういう考えがあったものか、いっこうにお取り立てのおさたがなかったものでしたから、いわゆる疑心テ鬼というやつで、あまりにもむっつり右門の評判が高まりすぎたために、ひょっとすると自分をさしおいて右門が先に抜擢《ばってき》昇進されるのではないだろうか、という不安がわいたからでした。功名を期するほどの男子にとってはまことに無理からぬねたみというべきですが、だから敬四郎は南蛮幽霊事件の落着後ことごとに右門を敵に回し、同時にまた功もあせって、今度こそはという意気込みを示しながら、何か犯罪があったと知ると、その大小を見きわめず、かたっぱし手を染めて、しきりと右門に競争的態度をとってまいりました。しかし、われわれの右門はそんなことに動ずる右門ではない。すべては力と腕と才略の競争なんだから、きわめて平然とおちついたもので、むっつりとまた昔の唖《おし》にかえると、敬四郎の敵対行為などはどこを風が吹くかといいたげに黙殺したままでした。勤番の日は奉行所の控え席に忘れられた置き物のごとく黙々と控え、非番の日にはお組屋敷でいかにもたいくつそうにどてらを羽織り、ひねもすごろごろと寝ころがって、しきりと無精ひげを抜いては探り、探ってはまた抜いてばかりいましたので、こうなると自然気をもみだしたのは右門の手下の岡《おか》っ引《ぴ》き、おなじみのおしゃべり屋伝六です。また、伝六にしてみれば、右門のてがらのしりうまにのっかって、かれの名声も相当高まっていたものでしたから、もう一度柳の下の大どじょうをすくってみたく思ったのは無理もないことだったのでしょう。ちょうどその日は非番の日でしたが、じれじれしながら様子を伺いにやって行くと、表はもう四月の声をきいてぽかぽかと頭の先から湯気の出そうな上天気だというのに、右門は豚のように寝ころがりながら、あいかわらず無精ひげを抜いては探り、探っては抜いていましたので、伝六はさっそくお株を出して、例のごとく無遠慮にがみがみといったものでした。
「ちえッ
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