。娘がびんを取り上げてみると、あいにくそれがからだったので、なにげなく屋台車のけこみを押しひらいて、中からたくわえの別なびんを取り出そうとしたそのとたん、ちらりと鋭く右門の目を射たものは、たしかにいま浅草の小屋で見て帰ったと同じ南蛮玉乗りの大きな黒い玉でした。
「さては、ほしが当たったらしいな」
いよいよ見込みどおりな結果に近づいてまいりましたものでしたから、もう長居は無用、伝六におでん屋親子の張り番を命じておいて、ただちに四谷大番町《よつやおおばんちょう》へ向かいました。なにゆえ四谷くんだりまでも出向いていったかというに、そこには当時南蛮研究の第一人者たる鮫島《さめじま》老雲斎先生がかくれ住んでいたからでした。かれこれもう夜は二更をすぎていましたので、起きていられるかどうかそれが心配でしたが、さいわいに、先生はまだお目ざめでした。もとより一面識もない間ではありましたが、そこへいくと職名はちょうほうなものです。右門が八丁堀の同心であることを告げると、老雲斎は気軽に書物のうず高く積みあげられたその居間へ通しましたので、だしぬけに尋ねました。
「はなはだ卒爾《そつじ》なお尋ねにござります
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