らの曇り空は、かえって人さらいの下手人をおぴき出すにはおあつらえ向きのおぼろやみです。
「伝六、どうやらおれの芽が吹いて出そうだぞ」
息をころして遠くからおでん屋台の張り番をしていた伝六のそばへうずくまると、右門は小声でささやきながら、いまかいまかと刻限のふけるのを待ちました。
と、案の定、もうつじ君たちの群れも姿を消してしまった九つ近い真夜中どき――おでん屋は店をしまって車を引きながら、河岸《かし》を土手に沿って、みくら橋のほうへやって参りました。前後して、顔の包みをとった右門が、わざと千鳥足を見せながら、そのあとをつけました。とたん、侍姿の右門に気がついたとみえて、ふっとおでん屋台のあかりが消されました。同時に、ことりとなにか取り出したらしい物音は、たしかにあのけこみの中へ秘めかくしておいた玉乗りの黒い玉です――右門はかくし持っている御用|龕燈《がんどう》をしっかりと握りしめました。間をおかないで、ふわふわと、さながら幽霊ででもあるように、玉に乗りながらおぼろやみの中から近よってきたものは、紛れもなくさっきの美人です。そら、眠りの術が始まるぞ! と思って龕燈を用意していると、それとも知らずに、予想どおり、いとも奇怪な一道の妖気《ようき》が、突如右門の身辺にそくそくとおそいかかりました。
「バカ者!」
とたんに、右門がわれ鐘のような大声で大喝《たいかつ》したのと、ちかり龕燈のあかりをその鼻先へ不意につきつけたのと同時でした。術は老雲斎先生のことばどおり、うれしくも破れました。
「あっ!」
といって、いま一度術を施し直そうとしたときは、一瞬早くむっつり右門の草香流|柔術《やわら》の逆腕が相手の右手をさかしらにうしろへねじあげていたときでした。同時に、片手で右門は相手の胸をさぐりました。――しかるに、やはり乳がないのです。右門とても年は若いのですから、むしろあってくれたほうが、その点からいったっていいくらいのものだが、やはり乳はないのです。
「バカ者め! 女に化けたってべっぴんに見えるほどの器量よしなら、若衆になっていたってべっぴんのはずじゃねえか。さ、大またにとっとと歩け!」
女でなかったことがべつに腹がたったというわけではなかったのですが、なにかしら少し惜しいように思いましたので、右門はそんなふうにしかりつけました。
――いうまでもなく、そのおでん屋の見込み捕物《とりもの》によっていっさいの犯人があげられ、いっさいの犯行が判明いたしました。長助殺し事件も、三百両紛失事件も、人さらい事件は申すに及ばず、ことごとくがそれら一団の連絡ある犯行だったのです。それら一団というのは、天草の残党、すなわち知恵|伊豆《いず》の出馬によって曲がりなりにも静まった島原の乱のあの残党たちでした。南蛮渡来の玉乗りも、むろんその切支丹伴天連《きりしたんばてれん》が世を忍んだ仮の姿で、岡っ引き長助を殺した直接の下手人は、催眠の術にたけていたおでん屋親子とみせかけているその両名でした。なにゆえに長助をあんな非業の死につかしめたかというに、その原因は、右門が奉行所の調書によって疑問とにらんだ、あのだんなばくち検挙事件に関係があったのでした。ふたをあけてみると、さすがは切支丹伴天連の一味だけあって、実にその犯行は巧みな計画にもとづき、あくまでも宗門|一揆《いっき》の再挙を計るために、まずかれらは軍資金の調達に勤めました。その一方法として、案出されたものが、金持ちのご隠居や若だんなたちを相手のいんちきばくちで、いんちきの裏には同じ切支丹伴天連の催眠の術が潜んでいたことはもちろんでした。その一つの賭場《とば》である牛込藁店《うしごめわらだな》へ偶然に行き当たった者が相撲《すもう》上がりの長助で、不幸なことに、かれは少しばかり小欲に深い男でありましたから、検挙しながらわずかのそでの下で、とうとうご法をまげてしまったのです。けれども、かれら伴天連一味の者からいえば、賄賂《わいろ》によって一度は事の暴露を未然に防ぎ、わずかに急場を免れたというものの、やはり、長助は目の上のこぶでした。したがって、坂上与一郎親子に化けてあんな残忍な長助殺しの事件も起きたわけで、それにはまたかっこうなことに、女にしても身ぶるいの出るほどなあのおでん屋の美少年がいたものでしたから、まことにしばいはおあつらえ向きというべきですが、切支丹おでん屋の両名が行なった人さらい事件は、これも異教徒たちの驚嘆すべき計画の一つで、あのとおり美人に化けてその美貌《びぼう》につられて通う侍のお客を物色しながら、例の手でこれを眠らし、誘拐《ゆうかい》したうえにこれを切支丹へ改宗させて、おもむろに再挙を計ろうとしたためでした。侍のみを目がけたのは、いざというときその腕を役だたせよう、というので、玉乗りの
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